Leeの特別支援教育

Leeのミニ・シアター

時間のゆとりがあればビデオで映画を観るのはいいものです。
私は本当は英語が専門。なのに中学英語も忘れるようじゃ恥ずかしい。英語で映画を観るのは勉強と趣味を兼ねるから、ただの暇つぶしではないよ、と言いながら、今夜も映画の世界に入り込みます。
英語の勉強ということでアメリカやイギリス映画に偏りがあるのはご容赦を。
   

エリザベス 「グリーン・ディスティニー」 「City of angels」
「今そこにある危機」 プリティ・ブライド グリーン・マイル
「グッドウィルハンティング」 ライフ イズ ビューティフル 「エディー 勝利の女神」
「グッドナイト・ムーン」 レインメーカー アルジャーノンに花束を
「トゥルーマンショー」 「モンタナの風に抱かれて」 「学校V
「愛と哀しみの果て」 「恋愛小説家」
「グリーン・ディスティニー」(2001年11月26日)

「グリーン・ディスティニー」 題からアメリカ物と思って借りたのですが、「台湾、香港、中国、マレーシアそしてアメリカの最高の才能が、国籍、人種を超え結集し、まさに映画が世界共通言語であることを証明した新世紀にふさわしい“世界映画”の誕生だ。」ということです。

中国を舞台に、武術の名士達の愛と戦いの話。
おもしろいのは戦いの様子。針金を使って、飛んだり宙に浮いたり、水の上を歩いたり。
そして男女4人が主人公であるが、特に女性の武術ぶりに力が入れられており、気持ちのよい術を見せてくれる。
女性があれだけ戦えて強ければ、気持ちがいいし、それが人気の秘密でもあるのでしょうね。

剣道や武術でも習っておけば、人生違っていたかな?!
「エリザベス」(2001年9月10日)

「処女王」と言われたイギリスの女王ですね。
この映画は観たくてたまらなかったものです。
あらすじはこれらのリンクへ あらすじ 監督とあらすじ 
あらすじを書くのも、無知な私には時間がかかるので、書き写します。(手抜き)

「25歳でイングランド女王となり、後に「ヴァージン・クィーン」として君臨したエリザベス1世。大英帝国の繁栄の基礎を築いた女王の波乱の半生を壮大なスケールで描く。
 熱心な旧教信者だったメアリ女王の時代、新教徒が火あぶりの刑に処せられるシーンから映画は始まる。このシーンに象徴されるように、宗教対立が深刻化していた16世紀の英国。エリザベスは新教を復活させるが、そのことでローマ法王から暗殺の司令が下される。さらに、勢力拡大を狙うフランスとスペインは政略結婚を申し入れてくる。
 陰謀、裏切りが渦巻く中で、恋と遊びに夢中なか弱かった乙女が、自らの敵や裏切り者を次々粛清、確固たる地位を持った権力者に成長していく姿は圧巻だ。」

本当に絢爛豪華。衣装などもこっていて、楽しめる。
監督はインドのシェカール・カプール監督

わたしはイギリス、スコットランドを旅行したことがあるので、景色が目に浮かんでくるようだった。
ロンドン塔、お城、スコットランドのお城・・・。
しかし、この映画も血と叫び声がいっぱい。恐かったので早送りばかり。

監督はエリザベス女王を非常に人間的に描いている。
恋を楽しむ乙女が、次第に敵を静粛する女王になるまで。
周囲はみな敵に思える宮廷で、国を治めていくのは、ああでもならないと難しかったでしょうね。

また、当時のイングランドは財政的にも、軍備上も困窮し、弱体化していた頃。
(何か今の日本の状況に似ていますね。)
女に何ができるかと、反対派も多く、エリザベスは人心を集めるために女性であることをすて、一生独身で過ごしたのだった。
そして40年間、イングランドを統治して最強の国にした。

イギリスでエリザベス女王の像を観たときには、なんとも感じなかったが、こうして映画で観た後は、少しその人間性にふれたようで、親しみを感じました。
監督の手腕でしょうね。
また監督は、女王を時々非常にお茶目で表情豊かに描いています。それが最後は白塗りの(このような女性が日本にもいましたね)能面のような顔になるのだから、その落差が彼女の決意を表すようだ。

『エリザベス』はすばらしい映画ですが、同時期につくられていた、『恋におちたシェイクスピア』はアメリカのアカデミー賞の作品賞と主演・助演女優賞をさらったのでした。
グリーン・マイル(2001年9月9日)

リンクはここ
トム・ハンクスものなので借りた。
『ショーシャンクの空に』に続き、スティーヴン・キング原作をフランク・ダラボン監督が映画化したものです。
わたしは『ショーシャンクの空に』はなんども観たので、似た作風だな、と思いました。
刑務所の中が舞台。

ポール・エッジコム(トム・ハンクス)はこの刑務所の看守主任。ここにある死刑囚棟に、大男の黒人、ジョン・コーフィ(マイケル・クラーク・ダンカン)がやってくる。
ジョンには、ある超能力をもっていた。
ポールが自分の病気をジョンに治してもらったことから、ジョンと看守らの交流が始まる。

人間性とやさしさ、癒しが底流に流れているが、死刑の場面が3つあるので、わたしがその場面は早送り。全く観ていない。いい場面なんでしょうが・・・。

死刑と言えば、「デッドマン・ウオーキング」という死刑制度を問う映画もありました。
これも、人間性を突き詰め、死刑制度がテーマでした。

アメリカって深刻な死刑の場面をリアルに描くんですね。
気が弱い日本人のわたしは、まともには観ていられない。
この違いはなんだろう?

最後に長生きをしたポールが「生きること、死ぬこと」について語る場面は、考えさせられた。
早く死ぬも、長生きするも、生きている間に何をするか、人に何をしたか、で人生の意味がみえてくる、というような。
恐い刑務所の話ですが、トム・ハンクスのユーモアさえ交えた演技と、「ちょっととろい」のではないかといわれるジョンというキャラクターで、希望や明るさが残る映画になっています。
プリティ・ブライド(2001年9月9日)

リンクはここ
あの「プリティ−・ウーマン」の二人が主人公。
結婚式直前に逃げ出すという女性にジュリア・ロバーツ。
わたしも口は大きいつもりだが、この人の口の広さに比べると、わたしの口なんておちょぼ口。でも、これが魅力的なのよね〜。
リチャード・ギアは、かなりおじさんになっているが、まだまだ魅力的だ。
気楽に観られる、女性好みの映画でした。
「今そこにある危機」ハリソン・フォード主演(2001年1月13日)

このようなアクション物は好きというわけではないが目をそむけるようなものではなかった。

ハリソン・フォード扮するジャック・ライアンは、CIA副長官代行役。
コロンビアの麻薬組織との対決から始まったのが、最後は大統領との対決となる。
アメリカ映画のおもしろいところは、大統領を理想化して描くものと、この映画のように私利私欲からとんでもないことをする人物として描いたものがあることだ。
そのあたりが、日本のように「おかすべからず」といった雰囲気の国と違うところのような気がする。
映画評はこれらです。「映画の道しるべ」より、「映画瓦版」より

昨日、「今そこにある危機」を観たことを書いたが・・・。
今日は日曜日でサンデープロジェクトがあった。そこでペルーの元大統領、藤森氏が出演した。
今までのことが説明されたが、その中で藤森さんが麻薬組織と対決したこと、そして現在アメリカが藤森氏を煙たく思っているのではないか、ということを田原さんが話していた。
まさに「今そこにある危機」のような話ではないか。
政治の世界のことはなかなか難しい。「事実は小説より・・・」、というが、「事実は映画より奇なり」ということもあるかも知れない。
「エディー 勝利の女神」 ウーピー・ゴールドバーグ

この人のものは、いつもたわいないが元気がでる。
スランプで連敗のバスケットボールチームに、ただのおばさんがコーチではいり、その人間味で連勝にみちびく、という筋書き。
「そんなにうまくいくか・・・」という気もするが、ウーピー・ゴールドバーグの元気と温かみが愉快だ。
選手にやる気を出させるには、まずその選手の長所を伸ばすようにアドバイスをすること、私的なことにも目くばりし悩みをきいてやる、といったことで、選手の信頼を得る。ダサいおばさんが、スターになるにつれカッコ良くなる。
アメリカ人の「アメリカンドリーム」の一パターンだろう。
ライフ イズ ビューティフル

アカデミー賞作品賞(だったよね?)受賞作品
あなたはもしナチスから収容所に連れて行かれたらどのような行動をするでしょうか。
私ならきっと叫び、パニックになり、向かっていく。そしてすぐに殺されるな。
しかし、この映画の主人公は、ユーモアと笑いでその極限の状態を戦った。
この映画の前半は楽しくおとぎの国のようなお話。そしてめでたしめでたしの時に一転する。
私はこわがりで、ナチスとかガス室とかが出る映画は観られない。そのあまりに非人間的な行いが恐ろしくて・・・。
やはりイタリア映画らしい。
雷より太陽。恐怖よりユーモア。これは教育にも通じる映画でした。
「グッドウィルハンティング」マット・デイモンとベン・アフレック作(2000、5、8)

 マットはこの映画ですい星のように現れたと言われたそうで、アカデミー賞もとった。
ロビン・ウィリアムズがカウンセリングをする先生役でさすがにうまい。カウンセリングとは、そして人を育てるとは何かということを考えさせる。
ウィル(マット)は孤児で、養父から暴力を受け、ぐれて障害事件を起こしたりしたが、今は大学の掃除夫をしている。夜は遊び仲間と酒を飲んだり遊び回ったり・・・。その大学の、賞をとった有名な教授ランボーは、あることから、彼が自分をはるかに越える天才であることを知る。この青年をこのままにしていてはいけないと思ったランボーは、彼の気持ちをほぐすために、カウンセリングを頼む。
カウンセラーは口達者で、心を開かない青年に手を焼きギブアップするが、5人目のカウンセラーはランボーの昔のクラスメート、ショーン(ロビン・ウィリアムズ)であった。
最初はののしり合うセラピーだったが、お互いの本音をさらしながら、次第に心を開いていく。
このカウンセリングの特徴は、ショーンが一方的にカウンセリングするのでなく、ウィルの言葉や存在にショーンも大いに影響を受ける。
そしてスカイラーというハーバード大学の学生。この聡明なそして個性的な女の子とウィルは惹かれ合う。しかし、孤独で人を容易に信じられないウィルは・・・。
ロビン・ウィリアムズの暖かみのある先生ぶりもいいが、マットはまさに彗星である。
ディカプリオもいいが、マット・デイモンもいい。さらに、マットともう一人の作(written)となっている。writerでもあるんですね。どう成長するか楽しみな俳優です。私は以前ティムロビンスがうまいと思ったが、若手では次はこの人ですね。
教育というか、人と人との繋がりを考えさせる映画です。おすすめ!
アルジャーノンに花束を

この原作は、インターネットで知り合った人たちから「いい本です」と教えてもらった。小説は読んでないけれど、ビデオで・・・。
チャーリーは知的障害のある男性。パン工場で働きながら、勉強すべく夜学に通う。夜学の先生アリスは、彼をある教授のもとへ連れていく。そこではアルジャーノンという名のマウスに手術をして、頭を良くする実験が行われていた。手術がうまくいき、こんどはチャーリーが手術を受けることになる。そして頭が良くなったチャーリーはどうなったか。

この映画の中でチャーリーがこういう。「どうして人は知的障害者を笑うのか。身体障害者のことは笑わないのに・・・」
たしかにこの点は現実的には大きな問題なのだ。
一口に障害者と言っても、身体障害者や盲、聾の人も含め、知的な障害があるかないかでは大きな違いがある。
たとえば、統合教育というが、知的障害がある人にはそのハードルはさほど高くなくても、知的障害があるとより多くの支援を必要になる。何しろ学ぶ内容が違わなければいけないところがあるから・・・。
将来的には、特殊教育では、知的障害があるかないかの区別になるだろうと言われている。

知的障害者が小説や映画になるのは余り多くはなかった。しかし最近はその明るく素直な人間性で映画に登場することも増えてきた。私たちもいずれ老いに伴い、身体的または知的な、あるいは精神的な障害が出てくるだろう。
色んな障害がある人が、当たり前のように町中にいて、小説や映画でその個性が表現されるのはいいことだとおもう。
レインメーカー

レインメーカー(rainmaker)というのはここでは「お金が降り注ぐように運のいい」という意味のようだ。
主人公のマット・デイモンがういういしいですね。人気が上がりそう。弁護士物です。
マット扮するルーディーはロースクールを卒業しようとしている。まずしい家庭出身の彼は、何とか仕事を見つけなければならない。ようやく、強引な弁護士事務所に入る。そこで弁護士の試験に通らないが経験豊かなディックとであう。やがて、ルーディが試験に通り、二人で独立する。
初めて裁判することになった事件は「保険金支払い拒否」の保険会社に対するもの。貧しい家庭の白血病になった息子に、大保険会社が支払おうとしない。ルーディーとディックは知恵を絞って弁護する。その展開が見物である。
ケリーという女性は夫の暴力に悩んでいる。自分も父親が母親に暴力をふるうのを見てきたルーディーは何とかケリーを救いたい。その気持ちは次第に愛になっていく。
日本では弁護士物は少ない。しかし、アメリカは弁護士が多く、映画や小説で弁護ぶりが取り上げられる。
この映画の主人公がこう言うところがある。「人によっては弁護士は依頼人と適度な距離を保たなければいけないと言う。しかし・・・」彼は依頼人の家庭や心に入り込んでしまう。このあたりは教師とも似たようなところがありますね。距離の取り方は難しい。
「グッドナイト・ムーン」ジュリア・ロバーツとスーザン・サランドン  (2000,4,28)

原題はステップマムつまり継母
ジュリア・ロバーツとスーザン・サランドン。夫と別れたスーザンは息子と娘を育てている。元、夫にはジュリア扮する若い恋人がいる。子どもは元、夫のところにも会いに行き、将来母となるジュリアとも次第に仲良くなっていく。ジュリアとスーザンは反目しあうが、やがてスーザンはガンであることが分かり・・・。
かわいくコケティッシュなジュリアと、まじめな本格派スーザンの競演で、女同士の対立と共感を描いている。なかなか良い映画で、また涙涙でした。
なお、スーザン・サランドンは「ショーシャンクの空に」のティム・ロビンスの奥さんだと思います。演技派女優です。
山田監督の「学校V」

リストラにあった人たちが職業訓練校に通う。そこでのふれあいを描いている。なかなかよかったです。
主人公に自閉症の息子がいます。彼との接し方などを、あたたかいまなざしで描いています。自閉症の人については、アメリカでは「レイン・マン」で登場しました。
前の「学校U」は生徒と一緒に観ました。知的障害がある生徒と一緒に観るのはどんなものかとも思いましたが、生徒はすなおな感想を書いていました。「ハイスクールニュース4号」にのせています。
次の「学校W」は不登校の子どもがテーマだそうです。これも観よう。
「モンタナの風に抱かれて」ロバート・レッドフォード主演監督  (2000,4,18) 

 乗馬中の事故で片足を失った娘。娘と馬はショックから閉じこもり荒れたりする。やり手雑誌編集長の母親は、どうにか娘と馬の心を開かせようと、馬の心を読めるという男を訪ねてモンタナ州まで行く。そこでその自然や暮らし、そして男に魅せられていく。
ニューヨークという人工や騒音、忙しさの世界と、モンタナの自然、かざらなさ、人とのふれあいなどを対比している。
そして、傷ついた馬や娘の心を自然の中での自然な教育で解きほぐしていく。娘も馬も最初はかたくなに拒んでいたが、解きほぐされたり、トレーニングや指導でできなかったことができるようになると自信ができてくる。
このあたりは自然な教育の方法のヒントになる。特に手綱で押したり引いたりするあたり、いわゆる手綱さばきがうまいな〜と思う。
これは今、不登校の人などが自然の中で学ぶなどと似たようなことがありますね。
モンタナの雄大な自然やゆったりした時間の流れの中では、日々の悩みや忙しさからくるストレスからは解放されそうです。

ただ、レッドフォードと母親の恋の結末は最後は分かったような分からぬような・・・。最後は別れるからいいんでしょうが・・・。
レッドフォードが初老という年になっても華があるのはさすがです。
ジム・キャリーの「トゥルーマンショー」   
     
大いに笑おうというのでジム・キャリーの「トゥルーマンショー」
ところがこれは喜劇ではなく、深刻な劇であった。

ジムキャリー扮するトゥルーマンは生保会社の社員。彼女とくらし平和な生活。
しかし、実はその生活は全て「やらせ」
かれが生まれたときからの様子を24時間テレビショーとして放映しているのだ。
ある島を巨大なセットにして、島の住人も全てキャスト。トゥルーマンだけはそのことを知らない。シルビアという女性だけが、それを彼に教えようとする。

観ていて、周囲が自分と敵対する状況になったら、こういう恐ろしいことになるのかと思う。
例えば、痴呆という人たちはこういう感じかもしれない。
また、仕事の場でも、ノイローゼになりそうだったら周囲が全て敵と感じるだろう。
そして、自分が間違っているのかと思い、多勢に無勢で自分を責めたりして、周囲に合わせてしまう。
この映画では、周囲が全て作り物で、トゥルーマンだけが本物ということになっている。

観ていて、現状のあれこれに重ね合わせると、考えさせる映画だった。
メグ・ライアンの「City of angels」

メグ・ライアンです。男の妖精が人間に恋をして、人間になる、という話。
このような話はぴんとこない。メグはかわいくてチャーミングだけど・・・。
「恋愛小説家」

ちょっと変わり者で潔癖性の小説家にジャック・ニコルソン。思ったことをずけずけ言うウェイトレスが気になる存在になるが、
突っ張ってなかなか素直になれず・・・。
出演の犬がかわいいし、演技が人間並み。あんなに演技のうまい犬ってどのようにして見つけるのか?
「愛と哀しみの果て」      

「愛と・・・・の・・・」という題はたくさんあり、これだけ聞いても分かりませんね。
ロバート・レッドフォードとメリル・ストリープ主演で、原題はOUT OF AFRIKAという。
アフリカの景色や人々の暮らしが美しく撮られている。メリルが2人の男に頼りたいけれど頼れず、次第に強くなり、自分で人々の力になるようなことをしていく様子はおもしろい。しかし、白人からの視点であり、アフリカの人々からみればどうなるのかは分からない。
先進国や強い国から発展途上国を描くのは難しいものでしょう。
ロバート・レッドフォードとメリル・ストリープはやはりうまい。今回借りた5本の中にレッドフォードものが3本もあった。別に好きなわけではないがそれだけたくさんの名画に出ているのでしょうね。2人とも年をとっても輝く名優です。

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