Leeの特別支援教育

きいてきいて(Leeの雑感)

ここには、日記などに書いた話から、おもしろいと思うものを残します。



瀬戸内寂聴さんの生き方  2003年5月15日(木)

昨晩、NHKの番組に瀬戸内寂聴さんが出た。
感動的な話であった。
瀬戸内さんのサイトはここです。

特に次のようなくだりは印象深かった。

恋愛のために子供を捨てて来たことがいつまでも後悔として残り、仏門に入られた。
そのほかいろんな人に迷惑をかけたという思いから、文学をするしかないと執筆に精を出した。
流行作家となったが、欲しいものを手に入れてもむなしさが残り、ついには自殺を考えるようになった。
今では子供を捨てたこと以外は後悔はない。見栄も雑念もない。ただ文学を書きたいという思いだけが残っている。

波瀾万丈の人生を生き、出家という人にはできない経験をし、時には人に退けられ、非難され、時には作家としての最盛を極め、そして今、人々に心打つ説法をされている。
地獄のような思いもされてきたからこそ、人々を引きつけるのでしょう。

私は若い頃に「婦人公論」を読んでいたから、瀬戸内晴海さんと言っておられた頃の小説を読んだことがあります。
作家として素晴らしい活躍をしている人が、突然、頭を丸められた時の驚きが印象に残っています。
話をお聞きして、女性もがむしゃらに生きることで、充実した人生を送ることができるんだなあと思いました。
最後に言われた、「あなたの才能がどこに眠っているか分からない。眠っている才能を開花させることはおもしろいことです」というようなことを言われたが、本当にその通りだと思った。

有能?無能? 「ピーターの法則」  2002年10月20日

ラジオで「ピーターの法則」が話題になっていたが、おもしろかったので検索した。

このサイトを読んでみて。
「教育あれこれ」によると

「ピーターの法則」というのは、L・J・ピーターという社会学者が提唱したもので、 「階層からなる社会においては、その構成員は能力によってだんだんと上の階層に上 がってゆくが、最終的には無能のレベルに達する」というものです。
有能でいるためには、昇進しないで自分の能力を 発揮できるようにすることである。

ラジオでは、こんどノーベル賞を受賞した田中さんはまさにそうだという。
自分の好きな研究を思い切りやるために、昇進を拒んだ。「ちょっと変わり者」というのは昇進しないための意図的な無能ぶりだったのか。

私は今まで仕事が出来るなら昇進するものだという思いこみがあったが、決してそうではない。
昇進からはずれてしまったからこそ、好きなことが思いっきりできるということもある。
階層社会学研究(ピーターの法則にでは学校現場での話が書いてある。思わず苦笑いしてしまう。

一番おもしろかったのは「進化する社員」
ここでフォン・マンシュタイン将軍による「「良い将校、悪い将校」の見分け方」というのが出てくる。
良いリーダー、悪いリーダーといってもいいでしょう。
さて、次のどれが一番いいリーダーでしょう?
(1) 怠惰で無能なタイプ
(2) 勤勉で有能なタイプ
(3) 勤勉で無能なタイプ
(4) 有能で怠惰なタイプ


(こたえは4)

さて、あなたはどのタイプ?
関心がある方は読んで下さいね。

2003年7月30日
これもおもしろい「小野光則の アメリカ レポート」
  
Lee流悩み解消10の方法  2001年4月18日    
                        
私の悩み解消法は・・・・
@悔しいときにははっきり言う。日本でははっきりものを言うことは歓迎されないが、引っ込んでいては無視される。
Aうまくいかない時には、「神の試練だ。これを乗り越えられたら自分が成長する」と思う。
B頑張る。成果がでなくても、これをやろうと決めたことをやる。
C落ち込んだ時には、じたばたせず、ゆっくりとした環境で、ふさわしい音楽などを聴く。花や自然をながめる。
D散歩やお風呂。
E家族にぐちや憤りを話す。肩をもんでもらう。
F笑えるビデオを観る。国内外のコメディーなど。
G他に夢中になれるもの読書(はらはらする推理物など)やネット上を見てまわる。
H次の日の人に会うときには、落ち込んだ様子を見せず、努めて笑顔。
I仕事上でいやなことがあったら「定年後は何の関係もないんだ」と思う。実際仕事上の悩みは、後で考えると「なんであの時あんなに・・・」と思うものでしょう。

と書いたものの、落ち込んだ時にはなかなか割り切れないのが本当でしょうね。
でも、悩んで暗く過ごすより、脳天気に明るく過ごしたい。
               「男女雇用機会均等法」を成立させた女性達  2000年12月19日

今までNHKで、赤松さん達が「男女雇用機会均等法」を成立させるまでの「女達の戦い」をみた。
この番組では、いろんな人たちの戦い、挑戦が取り上げられ、見応えがあるし、励まされる。
今日のテーマは女性の挑戦であったから、一層感慨深かった。

女性が何かに挑戦する時には、壁がいくつも立ちはだかる。
そもそも、女性が何かに挑戦するというだけでけしからん、と思われる。「横着だ」というわけだ。
赤松さんもずいぶんこのような視線を受けられただろう。
しかし、偉いのはそのようなことにくじけずに、楽天性を発揮してやってこられたことだ。

最後の赤松さんが言った言葉が良かった。
「自分がやりたいことに向かって、死ぬほど勉強しなさい。いつかチャンスがやってくる。かなわないことはない。」(というような・・・)
いい言葉です。赤松さんがこのプロジェクトを始められたのは53才の時のこと。
私の今と同じような年ではないか。
今からでも、いや、いくつからでも、何かに向けて挑戦するということはできるのです。
「死ぬほど勉強」はしたくないけれど、マイペ^ースで何かをしていこうではないか・・・。

 Aタイプ人間,反省する  2000年4月19日     
 
テレビでタイプAのことを言っていた。多分aggressive(攻撃的な)とかのAだろう。
心筋梗塞などになりやすいタイプということで、その特徴が挙げられた。全部は覚えていないが
・明日すればいいことを今日してしまう。
・完全にしないと気が済まない。(この点は、ずいぶんルーズでわたしには当てはまらないが・・・)
・気が強い。
・いらいらしている。
・寝るのを惜しんでもやってしまう。
・負けず嫌いで勝とうとする。
・・・のような10の特徴があった。
私もかなり当てはまるではないか・・・。

というのは3月までのお話。今年はかなり意識してゆったりするように性格改造、いやそこまでいかなくても行動の改革を試みている。
ここ数年の嵐のようなあわただしさで、せかせかいらいらしないと仕事がこなせなかった。しかしここで普通の生活をして「ゆとり」を取り戻したい。
日本ではとかく「がんばる」ことが美徳のように言われ、自分たちも自分の首をしめるようなことをしがちである。
このHPを毎日更新するのを義務のように思うのも、Aタイプらしい感じがする。
しかし、病気になったら何にもならない。せかせかして死に急ぐこともない。
そこで、ここ数週間はビデオを観たり、読書をしたり、散歩をしたりしている。考えれば当たり前の生活だけど、こんなにゆっくりしていいのかな〜、と罪悪感を持つのも,Aタイプの特徴でしょうね。
「今年はゆっくりするぞ〜!!」
ああ、人事  2000年3月27日
     
 新聞によると鉄道会社の職員が線路に置き石したそう。その理由は「人事が気に入らないでむしゃくしゃした」
分かるような、分からぬような。おかしいような、笑えぬような。
 
 学校現場も人事の話題。「そんなことでくよくよしたりいらいらしたり・・・」と、他人は思っても、本人にとってはいらいらあるいは喜びの種。もっとも喜ぶ人は少ないんじゃないか。
 なぜなら、たいていの人は上昇志向か、より楽な道を希望するから。よりえらい地位、より近い勤務地、より給料の高いところ、より労働条件の良いところ。嫌いな人がいなくて、自分を買ってくれる人がいるところ・・・。
みんなが希望するから、競争率は激しい。だから喜ぶのはほんの一部。
そういうわけで、熊本ではすでに桜が咲いたけど、穏やかな気分ではなかなか花見できないないものです。

 しかし、私もそのような春を何十回と繰り返し、うれしいこと口惜しいことを経験し、無常を味わうと、だんだん枯れかかってきたかな・・・。いや、枯れまではしないが、運を天にまかせる感じ。
 もし希望の人事がなされないにしろ、それは「神の思し召しか」と思うようになった。これを乗り越え、精一杯するところを神様がみておられると・・・。つまり、人の評価にまどわされないで、自分ないし、自分の神(仏)の評価を大事にする。
なんか、宗教じみてきたかな。(なむあみだぶつ・・・)
しかし、例えば、五木寛之さんの本などを読むと、そのような「諦観」のようなもの、神や仏にゆだねるようなことが書いてある。

 たぶん、多くの人は3月、4月にはそのような不安や苛立ちを感じ、だからこそ、五木さんの本を読んで、気持ちを落ち着かせ、自分を立て直すのでしょう。そして、人生って所詮ただの人になり、一人になるわけで、だから早くから、人生思い通りにならないということを経験し、自分に折り合う道を見つけた方がいいのかも知れません。

何か、今日は哲学的。こんな時は
天才ほどよく悩むの本でも読むといいでしょうね。(天才さえ悩む、まして凡才は・・・)
 「縛らない」病院を作った人  2000年3月7日       
「縛らない看護」をめざす○○病院総婦長  田中さん(朝日3/7)
「患者さんを縛ったら、病院はろう獄になります」 田中さんは16年前に、准看護婦として精神病棟で働いた。その間お年寄りが縛られたり、なぐられたりするのを見てきた。「怒りともどかしさの日々」だった。自らをさげすんだり、すさんだりする職員もいた。看護の仕事に誇りを持ちたかった。
その後看護学校に通い、この老人専門の病院に来た。理事長の方針で「抑制」いう名の縛りことは許さない宣言。いま、やればできる自信ができ、院内を公開する。講演も増えた。壇上では、ほえ、つかみかかるような迫力で改革の先頭に立つ。それが患者さんの前では、とろけるような笑顔。「安心しているお年寄り達に会うと、いやされます」。

えらいな〜。働きながら勉強して、患者さんのことを親身に考え、戦える。強い論理に向かって戦うのは難しいし疲れる。縛るのが当然であった現場で「ノー」をいうのは本当に難しい。でもこのような人たちがいるおかげで、わたしたちの老後も人間らしく過ごせるのだろう。

ローランド社の会長。    (朝日平成11、3、21)

 ローランドという会社はコンピュータで音楽を使う人は知っているでしょうが、電子楽器の会社です。そこの会長さんが梯さんという70才の方。終戦の翌年、工業学校を卒業してラジオを作り始めた。ジャズやポピュラーが新鮮にきこえた。やがて、電気店を開業。近くにあった教会の電子オルガンを修理したのがきっかけで、電子楽器に興味を持った。「機械でこんないい音が出るのか。配線を見て、自分もできる」と、72年、電子楽器を製造する「ローランド」を設立し、業界を代表する会社になった。
 エルトン・ジョンは同社の電子ピアノを「僕が求めるサウンド」と言い、スティービーワンダーは「マイ・マシン」と言ったそうだ。社長を退き「製造開発に専念したい」と代表権も返上。「現場重視」で社員と同じ制服で飛び回る・・・、とのこと。
 このたび、ハリウッドの「ハリウッド・ロックウォーク」に日本人として始めて手形とサインを納めたそうだ。

 70才でこの元気と感性。すごいですね。仕事の中で、惹かれること、やりたいことをして、工夫する。こういう人たちのお陰で、日本も世界の中で自慢できるものをもてる。
現場を大事に、そしてもの作りに関わる者は、それを深めていく・・・。
いろんな人の話を聞くと、わたしがこれからやることを考える上で、ヒントと元気をもらえます。
 コミカルな歌姫、ナタリー・ショケット・ショー。 女性は好きなことをどんどんやっていこう! 
                                                     (2000年3月16日)     
夜衛星第二でおもしろい番組を見た。「ナタリー・ショケット・ショー」
この人は元々オペラ歌手だそうだ。今日のショーではまるでお笑い番組なみのコミカルな舞台だった。
ロングドレスでオペラ風に歌っているかと思えば、サーカスのような格好や体操選手風、ジャズ風、90うん才のおばあさんカルメンといろいろ。カルメンはおばあさんから若きカルメンの早変わり。とんだり、はねたり、逆立ちしたりと動き回る。
表情も口を大きく広げ、目をむき、男かと言うような顔をするかと思えば、女性らしい顔になったり・・・。
だけど動きながら歌う歌は正統派オペラ。ソプラノのすばらしい声。からだにずーんと響く。
何より驚くのは、この人現在妊娠5ヶ月。ぴったしのタイツ姿にお腹がぽこり。足を挙げたり逆立ちする姿にはらはら。でも大丈夫。
すばらしい声にうっとりし、大笑いし、びっくりする。常識をひっくり返す。オペラってこういう要素もあっていいんだろうな。

 そしてこの人の話。
「私は元来日本人のようにおとなしい性格。子どもが好きで、家でおとなしくしているのが好き。でも、ステージで動き回る歌姫は私の理想の女性。歌姫は今までのオペラの女性と違い、男性社会にノーと言って、自分の道を行く。そんな歌姫が好き。」
という話をにこやかにする。

 すごいな〜!自分のしたいことを思いっきりやって、自分しかできないすばらしい芸を作る。
女だからって制約は何もないんですよね。自分のしたいことを遠慮なくすればいい。深めていけばいつの間にか、本物ができる。
「女は土俵にあがるべからず。」なんて言うかびの生えた男どもなんてほったらかして、女性は新しい道をどんどん切り拓いていこう!
守るもの、失うものはないんだし。これからの世の中はそういう世の中だとおもう。
男性もそういう女性に理解のある男性が、真に強い男性だと思う。
病弱養護学校の教え子と会う。  (2000年2月26日)
昨日思いがけない人からメールが来た。
私は平成7年度から9年度まで、病弱の養護学校の高等部で主に英語を教えた。普通科には車椅子の人たちが多く、また、重複学級授業もした。
その時のごろちゃんからメールが来た。今年の年賀状にHP名を書いていたが、「HPを見ました」と言って、メールしてくれた。すぐに返事を書いた。
あの3年間は高等部ができたばかりで、ごろちゃん達は第1回目の卒業生なのだ。彼は卒業後、障害者のための情報処理関係の職業訓練を2年間受けた。今、病院に勤めている。優しくてかしこい人です。
今日午後勤めを終わり、生協に行く道で、その学校時代のことを考えていた。いろいろあったけど、生徒達はけなげで、英語の授業も歌を歌ったり、映画を見たりALTのナンシー先生と授業したりと、楽しい思いでも多い。そんなことを考えていたら、同じく卒業生の才ちゃん達がいる授産所に行ってみようと思った。すぐそこなのだ。
授産所の駐車場に車を止めた。するとミラー越しに才ちゃんが見えた。「才ちゃん!」と呼ぶ。すると何と、そばにごろちゃんもいる。「メールありがとうございます。」と言いながら。土曜日なので二人で町に行くそうだ。二人は学年は1年違うが、こうして一緒に出かけるのだろう。「じゃあ行っておいで、またメールを出すね」と言って別れた。二人はバス停まで一緒に行っている。1人が車椅子。1人は歩いて。お互いに助け合って町に行くのでしょう。
車椅子の人たちは卒業後病棟に残ったり、授産所や職場にいます。自宅にいる人もいます。不自由な思いもしながら頑張っているのでしょう。
二人の様子を見ながら、あの学校でこの人たちに出会って良かったと思いました。年に1度文化祭を見に行くが、卒業生に出会うと胸が熱くなる。みんながんばってね。
数学の話から、アルファベットの大切さについて  (2000年2月21日) 
先日数学の授業をしたが、そのことについて書く。
いつも25分という短い時間の国語・数学であるが、この日は長くとれたので、単位について学習することにした。その前の授業では、銀行の通帳の作り方や、見方について勉強していた。(この中で、カードの暗証番号を自分で決めさせたところ、ほとんどの生徒が誕生日をつけたので、それでは危ないと話したのでした。)
さて、単位であるが、その日は距離や長さ、重さ、容量の単位。
まず、マラソン大会などで使うm,kmについて。1000mが1kmということや、1mはどのくらいかなど。時速○kmとはなど・・・。
次に重さ、みんなの体重などから入る。kgとはどのくらいか。1000gが1kgということ。
最後に容量、1リットル(l)とはどのくらいか。実際に、計量カップなどを持ってくる。牛乳パックは1リットル。
さて、このような勉強をしていると、どうしてもアルファベットを読んだり、書いたりすることになる。以前に、英語の授業でアルファベットを書いた生徒もいたが、ここで再度以前作ったアルファベットのプリントを出すはめになった。
さて、このような経験から、私は知的障害養護学校でも生徒の実態を見ながら、早い時期からアルファベットやローマ字を教えるほうがいいと思う。新指導要領では中、高等部に選択教科「外国語」が導入される。これは時流に合ったものと考えるが、「外国語」の基礎として、アルファベットやローマ字を、ひらがなを教える感覚で学習したがよいと思う。なぜなら現代社会で生きていくのに、アルファベットを読んだり書いたりすることは、とても重要なことだと思う。習ったこともないでは、生徒は最初から自信を失う。そして、教えてみると、生徒はとても早く覚えるものだ。漢字は図形の感覚で覚えるそうだが、アルファベットもそうじゃないかな。
これを毎日の日記などに入れておくと毎日書くことで早く覚える。ローマ字で自分の名前くらい書けるようになると、気後れしなくてすむ。
ローマ字が読めると、歌手の名前を覚えたりする感覚で、英語も読めるようになる。
生徒はspeedなど、歌手の名前を通して、自分でアルファベットをかなり学習してはいるが、これを基本的に習ったかどうかでは、自信の持ち方がちがう。
数学の話で始まりましたが、最後は生徒もアルファベットを早い時期から、日常的な形で学習するのがいいのでは、と言う話になりました。
そういうわけで、今日はローマ字の大文字、小文字、歌手の名前のプリントを掲載します。
もっとこうした方がいいというアドバイスがあればお願いします。
Yahoo!さんにまた掲載されたいいわけと決意! (2000年1月8日)                  
久しぶりにYahoo!さんに行ってみて驚いた。「養護学校の作業学習」がおニューででている。
うん・・・、よくみるとこれも私のHPではないか!驚きました。うれしいより困りました。
Yahoo!の教育→特殊教育→学習指導に2本も載っていて、同じものじゃ、だまされたと思う人もいるじゃないの・・・!?

いきさつはこうです。
このHPを夏にアップしてYahoo!さんに掲載依頼をしました。しかし三回、四回お願いしても効果なし。
そこで考えた。この「Teacher Leeのなんとかなるさ」という題が良くないんじゃなかろうか・・・。人を食ったような印象かも。
で、超まじめに「養護学校の作業学習」という題で出してみた。
ところが、その直後、「Teacher Leeのなんとかなるさ」が掲載されました、とメールがあった。「あ〜ら、うれしや!」と喜んで、すぐに、
「掲載ありがとうございます。養護学校の作業学習は結構です」とメールを出しました。
それなのに、それなのに・・・、また二本目が掲載されてしまった!

知らないよったら知らないよ!(私のずるじゃないですよ。Yahoo!さん、しっかり見たの?)
でも、Yahoo!の二つの紹介文からアクセスする人は「な〜んだ、同じものか、だまされた」と思うでしょう。
今日一日悩みました。Yahoo!さんに取り消してもらうか・・・、なんてね。それも変だし、失礼なような・・・。

そこで決意しました!(ジャジャ〜ン) これは「2000年には2つのHP作りにがんばれ」という、どなたか(神か仏)の思し召しなんだと。
Lee節とかいっちゃって、言いたい放題言っているけど、2つのHP作りで苦労してみろ!ということかも・・・。
幸い、私は学校では、担任で、実践の時間はある。脳天気おばさんに、本気で苦労しなさいということなんでしょうね。
そう考えたら、うじうじ言い訳するよりも、苦労してやろうじゃないの!、と居直るところがLeeなんです。悲しいサガです。1本でも四苦八苦しているのに・・・。おまけに作業学習なんて、現在革工班なんてないんですよ!!(力不足で・・・、とほほ・・・)

だけど、やるっきゃない! とりあえず、作業学習のページを充実させて、2本のHPの価値があるようには体裁をととのえなきゃ・・・。
ここしばらく、構想を練って2世帯住宅にいたします。
みなさん、「なんだ、こりゃ」といわずに、2つのサイトを今後ともよろしくお願いいたしま〜す!

熊日新聞社主催の高校新聞コンクール優秀賞の表彰式 (1999年12月25日)

生徒と一緒に作った生徒新聞「ハイスクールニュース」が高校新聞の部門で、優秀賞(一位)をとりました。今日は表彰式です。
生徒4人と一緒に、バスで新聞社に行きました。広いホールに100名ほど集まりました。受付で司会の方が、「養護学校さんですね。コンピュータを使った新聞は珍しかったですよ。」とおっしゃいました。私たち5名は一番前の席に座りました。
さて式が始まりました。編集局長の挨拶に続いて、表彰式。最初は中学の部。トップの熊日賞は女子中学生4名。新聞の写真に載っていて見覚えのある女の先生もうれしそう。続いて優秀賞、優良賞と20組ほどの学校を表彰。
中学生は初々しく、緊張したり、くすくす笑ったりしながら表彰状と盾を受けとる。
いよいよ高校の部。うちの学校の名前が呼ばれ、生徒会長で新聞の編集長である良一君が元気に返事し、4名の生徒は前に並ぶ。
大きな表彰状と大きな縦、それに商品をいただく。私は正面からできるだけいいショットで写真を撮りました。
次に、NIE懇談会代表幹事の講評。今年の特徴として「今年初めてコンピュータを使った新聞が登場し、新しい時代を感じる。」ということを言われた。
また、本校の新聞は「日頃の学校の行事や出来事、趣味などが書いてあり、読んでいて本当にうれしかった。」と話された。
このコメントを聞いて私もとてもうれしかった。本当に生徒の作文はつたないところはあるが、読んでいてうれしくなるのだ・・・。
まとめの話。新聞作りには3つのことが大切「国数・・・など全教科の力を使う」「感性を使う」「一人でなく友達と協力してやる」
最後に「新聞を作るには常にアンテナを大きく広げ、「広報」は「広聴」と同じで、アンテナでキャッチして問題意識を持つことが大事」(これはホームページ作りにも言えるでしょう)
式が終わって、このNIEの先生が近づいてこられ「おめでとう、これからも頑張って」と生徒と握手をされました。
生徒達は式の間は緊張していたが、終わるとうれしそうで、「いい経験でした」と話しました。

私の感想。生徒をほめる機会が多くあるといいな。通常の学校の生徒も、機会ある毎にほめてもらうとうれしいでしょう。
養護学校の生徒も機会ある毎のほめてやりたい。それも、こういう風に通常の学校も一緒の場で・・・。他の学校の生徒も、今日のうちの学校の受賞に何かを感じたでしょうし、うちの生徒も多くの刺激があったと思います。
大したお金はいらないと思います。新聞作りに、スポーツに、絵に、ホームページに、コンクールで多くの生徒達をほめてくれると、生徒も先生もうれしいと思います。教育の「心の教育」は生徒のいろんな個性を認めほめることから始まるような気がします。今日の式はそういう意味で非常にありがたく、熊日新聞社にお礼を言いたいと思います。

次は授賞式に臨んだ生徒の作文です。

             
「熊日高校新聞コンクールのこと」
                                      高等部2年 dai
今日は、熊本日日新聞の本社に行きました。そして、熊日高校新聞コンクールがありました。
そして、まず、中学新聞コンクールの発表がありました。
それから、最優秀賞の発表もありました。こんどは、高校新聞の発表でした。
なんと、さいゆうしゅうしょうは、ぼくたちの学校でした。すごく、うれしかったです。それから、僕は、熊本日日新聞の本社にくるのは、はじめてでしたから、いいけいけんになりました。


このおばさんがいるから携帯電話もパソコンもできる (1999年12月18日)

今日はテレビですごい女性のことがあった。いえ、私と同じおばさんです。年もほぼ同じ・・・。
携帯電話などの精密機器に、部品を接合するのにリベットというのを使うそうだ。たぶんパソコンもそうでしょ。
このリベットを作るにはもちろん金型がいる。最近はそれが1mmとかの大きさだそうだ。そりゃ、そうだろう。小さく小さくなっている。それで金型も1mmのものを作らねばならない。こんな小さいものを作るのには技術がいる。1mmの金型なら0.1mm削ったりするのだから。
それができるのがこのおばさんなのだ。
この道30年だという。昔は大きい金型だった。ある時から1mmのものの注文が来た。できない。
そこでこの方は研究した。細かな削りのために刃物を工夫した。そして0.01mm(だったかな)の狂いもないものを作るそうだ。
男性はすぐ止めるという。「女だから続くんでしょう」と言う。
家に帰れば、食事を作りいい妻、いい母。気負うでもなく普通のおばさん。
えらいな〜。
こんな人で日本の工業はささえられている。
だれか社長や偉い人がこけても何てことはないが、この人がいなくなったら後継者はいない。育てるのに10年かかるそう。
だから、定年は60才だけど、その後も来て後継者を育ててもらいたい、と社長の話。
見習いたいね。現場で自分の仕事を大切に、研究というか考えながらやっていく。
こんな人を大事にしなくちゃね。だから、こういう人を見つけて紹介するテレビも、社長もりっぱですよ。
教育の現場と言えば担任、あるいは常に子供と接する人。地味でもえらくならなくても、現場で子供に学びながら仕事をしよう。
そういう人が本当に必要なんだよね。

大文字、小文字どちらが先?・・・アメリカからのメール (1999年12月10日)

アメリカからメールをいただいた!
障害のある子供さんのお母さんで、アメリカ在住とのこと。私のHPを見て、英語教育のことでメールを下さったのです。
ほんとにホームページってすごい!今までなら、研究紀要に文章を書いて終わり。後は皆さんの戸棚にしまわれてお蔵入り・・・、というケースだったと思う。実際今までに、何本も論文らしいものを書いたが、反響は研究会当日だけで終りだった。障害児教育の本にも2冊書いたんですよ。つまり、本は情報としては限界がある。
でも、ホームページはちがう。作るのはほとんどただ。かさばらない。いつまでも新鮮なままで読める。そしてこんな風に反響がある。
わたしは教育関係の論文などは、ホームページに載せるようになると思う。それが情報を共有する、実践をみんなのものにするということだ。いろんな問題はあろう。お金のこと、著作権のこと、プライバシーのことなど・・・。でも、問題をクリアできれば、それが学問や研究の流れだと思う。
さて、話がそれたがメールの内容は、私の実践にアドバイスとなるもの。
英語を初めて教えるのに、わたしの英語指導項目表では大文字から先に教えるようになっていた。
これにたいして、実際アメリカに住まれている経験から、小文字からの方が実際的では?というもの。
実際には小文字を使うことが圧倒的に多いそうだ。そうだろうね〜。文章でも文頭以外は小文字だもの。
なぜ日本では大文字から教えるんだろう?
と思いながらキーボードをたたいたら、キーボードも大文字でした。(12月7日の日記より)

奇跡の母   (1999年11月14日)

わたしの母のこと。母は奇跡の人なんです。別に水をさわって「ウオーター」と言った訳じゃないけれど・・・。

今年始め、隣の県に私の両親と一緒に住む妹から突然電話。「お母さんがくも膜下出血で倒れた。」
私はすぐに車を2時間運転して、病院へ。
母は、集中治療室にいて、口にマスク、管をいっぱいつけてベッドの上。話しかけてもいけない。「生死は微妙なところ」だという。
あの元気で気丈な母が、小さくなって植物人間のように・・・。
病棟入り口におばさんたちが来てくれたとき、私は母はもうだめ、という気持ちになり、泣いてしまった。
数日間、意識不明(そのようにしてあったのね)状態の後、ようやく話ができるようになった。しかし何かとんちんかんなことを言う。さては、脳の一部に・・・。医者は長く寝ているとこうなるという。
この頃父は、くも膜下出血は死ななくても、体や意識に影響が残ることが多いと知り、覚悟を決めた。「手術ををしても最悪の場合助からない。助かっても後遺症が残り、ベッドの生活かもしれない。」
私はもし寝たきりとかになったら私が長女、看病しなくては・・・。仕事を辞めるか、あ、看護のための休職もあった。などと本気で考えた。

手術当日、母は頭を剃ってしまい、手術室に運ばれた。これが見納めかもしれない。涙が出そう。
そして、手術はなんと朝から9時間。待ち疲れた私たちの前を、頭を布でまいた母が・・・。
「手術はほぼうまくいきました」とお医者さんが切り口を見せてくれた。今の医学ではなんということができるものだろう。頭皮を切って脳の血管を切ったり縫ったり・・・。

そして、母は、奇跡的にほぼもと通りに快復しました。以前と同じように話し、料理をし、家事をしています。
父の必死の看護が報われました。私も、休職の必要もなくなり、このように脳天気でおれるようになりました。
でも、父も母も、いつまでもいてくれる訳ではないことが分かりました。

母は、小学校の教師をしていましたが、訳あってやめ、その後幼稚園の園長などをしました。
しかし、お給料等はどうしても少なく、私が教師になったとき「絶対止めちゃいけない。」と言ったものです。それが押しつけがましく感じたときもありました。子供が産まれると、子供の送り迎えなど母がやってくれ、そのおかげで私も仕事を続けることができました。
今思うと、私にとっては本当にいい母でした。あの気丈さはまねができません。
時々、めまいがするところなど、私は母にそっくりのようです。きっと私も血管の病気になるでしょう。そして、私も母のように奇跡的に回復することになればいいですが・・・。(親への感謝の言葉は早く伝えたがいいですね、これは母への「ありがとう!」のつもりです・・・。)

インターネット葬儀(1999年11月3日)

 この前TVで言っていたが、コンピュータからにおいを出す実験が行われているとか。
前に、インターネットでにおいまで出るなら・・・、と夢物語のように書いたが、もう実験中なのね。
本当にどこまで進歩するのやら。

こんなばかなことを考える・・・。私が死んだとする。多分おばあさんになってもインターネット婆さんだろう。
で、死ぬ間際までHPを書いてて、最後に「いい人生でした」なんて書いて、がくっとご臨終。
さて、息子あたりが、(だんなはとうに亡くなっている)「Leeは大往生しました。これまでのご愛顧ありがとうございます」と書く。画面には菊の花や私の好きな花の素材。MIDIはお経よりアダージョあたりがいいな。そして、かすかに、お香の香りが・・・。
「インターネット葬儀」「ホームページ仏壇」ってのはいかが・・・。掲示板にみなさんがお悔やみというか思い出を書き込む。ありきたりのお葬式じゃおもしろくないね。「はい、一丁上がり」ってかんじで・・・。
死後もしばらくHPがあれば、日本中からお悔やみが来るよ。義理で葬儀に参加したり、弔電打つより、こっちの方が本音でお悔やみできそう。第一安上がりじゃないの・・・!

Leeの特別支援教育