Leeの特別支援教育
「サトくん」トップ

「サトくん」にいただいた感想

皆さんの書き込みの中から、皆さんに読んでいただきたいと思うものを残しました。
皆さんのリアルタイムでの思いをお読み下さい。古いものが下にいきます。



かっちママさん
2003年12月1日
その15
こんばんは〜
サトくんのおでかけ、想像しながら楽しく読みました。
相変わらず、いっぱい食べてますね〜。でも、太らないのが羨ましい・・・

かっちは朝の運動もいっぱい走ってるのに、体重は右肩上がりです(^^;
今度の日曜日は、マラソン大会にも出るのに・・・

サトくんのお父さん、いつの間にか仙台に単身赴任しておられたんですね〜
そのうち、どこかでお会いしたりして!
仙台はこれから風が強く吹くことが多くなりますよ。

サトくん語録もおもしろいですね♪
かっちもありますよ!
「しかく〜」これは「むかつく」
それから「どすこいじゃねえよ」は「調子こいてんじゃないよ」です。
言葉悪いねえ・・・なにしろ次男のマネですから(ーー;
恵美ちゃんママさん
2002年12月29日
その10
緑化ポスターコンクールに入選したサトくんの絵、「チューリップと蜘蛛」拝見しました。
書かれていたように、本当に発想がユニークですね。不思議な感じがしました。

卒業後に向けていろいろと実習があるんですね。いろいろあると戸惑ってしまう時もあるのでしょうか。サトくんにピッタリの場所が見つかるといいですね。楽しみな春になりますように。。。
コンサートのお兄ちゃん、かっこいい。
Jさん

2002年7月5日
その10
サトくんの実習の様子、仕事能力の高さ、思っていた以上にしっかりとした社会性、読んでいるこちらまで嬉しくなるようなお話を、ありがとうございます。

私などは人間ができてないんで(笑)、障害者といわれる方々が新しいことに挑戦しようとするとき、できる限りみまもろうって思いつつ、どうしてもあれこれ気をもんでしまうんですね。
人には「みまもりなさい」とかいって、一見落ち着いているような顔をしてるけど、実際は多くの親御さんたち同様、とってもはらはらしているんです。
うまくいかないんじゃないか?トラブルでも起こすんじゃないか?って悪いことばかり頭に浮かんできて、何だか相手を信用してないみたいで、本当に申し訳ないなあ、って思うってます。
きっとayaさんもそういう思いを抱えて、サトくんを実習に送り出したのでしょうね。
お話を伺って、見学をして、さぞほっとなさったろうと思います。

>「卒業後の進路を選ぶのに、この人がどういう将来を送るのかを考えた上で、施設を見て下さい。」「施設は通過地点に過ぎません。」

「卒業」を「退院」に変えると、私たちが入院患者さんの将来について考えていること、そのまんまです。

>どこで生活しても適応がスムーズにできるように、周りの人に援助してもらいやすいように、しっかり身につけなくてはいけませんね。

この言葉は、とっても重要な視点を含んでいますよね。
仕事を流すことを覚えてしまい、本来の意義目的を見失ってしまいがちな私たち。
精神障害の領域でもよく言われる「社会復帰(参加)援助」や「生活支援」という言葉の持つ意味を、しっかりと再認識させて頂いたように思います。
私たちの周りにも、まだまだ将来の可能性を秘めている方が沢山いらっしゃるのです。

そうそう、先日、知的障害のお子さんのいる友人から、通所している授産施設について相談されました。
でも、私も精神障害以外のものになると、とんと疎いんですよね。
今回のお話でその一端をうかがい知ることができたのも、大きな収穫でした♪
かっちママさん

2002年7月1日
その10
おはようございます。サトくんの実習の様子を垣間見ることができました。

まじめなサトくん、なんでも一生懸命がんばってますね。指導員さんしかできない作業もこなしたとか・・・
サトくんはきっと、普通の企業でも働けるかもしれませんね。
かっちの学校の先輩方も世の中不況とはいえ、一般企業でアルバイト、または、フレックスとして働いている人もいます。自閉症の子たちは、特に多いですよ。

かっちの学校の高等部さんも2週間の実習を終えたところで、先輩お母さん達からの安堵のため息が聞こえています。

かっちも秋に就業体験を予定しています。
サトくんと同じ、授産所のようですが、中学部は2日間の体験なのですが私も今から、ドキドキなのですが・・・
皆さんのがんばりに負けないように、かっち共々がんばります!
恵美ちゃんママさん
2002年6月30日
その6
画像とともにサトくんを感じていました。
真剣に取り組んでいる姿、中学生のお姉ちゃんも感動していました。

かわいさ一杯の時期から、何かを身につけ成長していってほしいと感じる時が来ると思います。

何かしの障害を持った子供達から得られる進歩は、関わっている人達にしか伝わらないかも知れませんが心から感動してしまいます。

部活、友達関係と自分の把握しているレール以外に楽しみを得ている我が道を歩むお姉ちゃんと比べると
障害は違っていても成長にあわせて具体的なものを学んでいかなくてはいけないのかなと思いました。

あたふたと7歳の誕生日を迎えましたが、エッセイを通して、ひとつひとつの経験から得るゆとり、やはり心に残ります。

サトくんの表情が印象的でした。
かっちママさん

2002年5月12日
こんばんは。Lee先生のアドバイスにあったように自分が楽になるため・・・
また、aya さんと同じで手抜きも得意なので(?)がんばります。

急にかっちとお風呂に入らなくなってお父さんも不思議がっていました。
このHPでの事教えて、これからはお父さんの出番だと男同士よろしく如くたのみました。

ayaさんもストレスからたいへんですね。
私も妙にムカツク時とか泣きたくてしょうがない時などコントロールできない時もあります。
自分でイライラが分かるので、そんな時は親友とひたすら話します。
胸に溜めずに吐き出すことは必要ですよね。

ここも、そんな場所のひとつではないでしょうか?
ayaさん

2002年5月12日
かっちママさん、こんにちは。
私、はっきり言ってズボラで手抜きが大好きです。
なんでも自分でやりたいという性格は同じなんですけどね。でも、お風呂は命の危険がないのなら、一人で入って耳の後ろやおちんちんがきれいに洗えてなかろうが、私の中ではたまに点検する事でOKです。
これも、最近は男同士なんだからお父さんがせよ!と言ってますし。

何事も気長に一歩ずつという事ですが、年長になってくると案外いきなり自分でさせてもできることがあるものです。
表さないけど、能力を溜め込んでるなって時があります。これを発見するのが嬉しいんですよ。焼きそばの次はお好み焼きなんてどうですか?サトの役目は材料を混ぜる事とソースを塗って鰹節をかけることです。次の課題は熱い鉄板を恐がらずにひっくり返す事でしょうか。これがまた至難の業ですが・・

お互いに楽しみましょう!
Lee

2002年5月11日
>私は何でも一人でやっちゃう方なので、まあ、性格もあると思うのですが・・・ついつい手を出しちゃったり、待てなかったり。

私もそうです。せっかちな性格で、「早く!」と思うあまりに自分がやってやる。
子どもはちっとも覚えない。結局私がいつまでもやってやらなくではいけないわけです。

一人でできるようにするには時間がかかりますよね。一つ一つ手を取って教えないといけないし・・・。
でも、コツを見つけたり、ほめてその気にさせたりすれば、楽しくマスターできるかもしれません。
これはもう、障害児の育て方と言うより、一般の子育てのこつになるでしょうね。

>今日のお昼はかっちもお手伝いして焼きそばでした。

いいですね。一緒に楽しくやってくださいね〜♪
かっちママさん

2002年5月10日
サトくんのこだわりのバスタイム。一生懸命お風呂で体を洗っているサトくんの姿が目に浮かびました。

サトくんのお母さんはえらいですね。
私も中学生になったら、ひとりでお風呂に入れるようにと思っていたのに・・・かっちはもう、中3です。体も横に大きい親子なのでお風呂はぎゅうぎゅうです。おまけに、小6の弟までがまだ一緒に入ってるんですよ。
幼いのかな〜
まあ、そのうち下の子は入らなくなると思うけど・・・
どちらにしても、かっちもたま〜には一人で入りますが、ついつい一緒に入ってしまいます。

がんばって自立させなきゃね。
それにしても、サトくんのお手伝いは残念でしたね。
何か、ピッタリのお仕事できるといいですね。
そういうかっちのお手伝いは、食卓準備の手伝いくらいですが・・・・

>自立させるとは、自分が少しずつ楽になること・・・
確かにそのとおりですよね。
私は何でも一人でやっちゃう方なので、まあ、性格もあると思うのですが・・・ついつい手を出しちゃったり、待てなかったり。
でも、いつまでもかっちのそばにいてあげられるわけにもいかないし、困るのはかっちだもんね。
がんばります!

と、いうことで、今日のお昼はかっちもお手伝いして焼きそばでした。
Jさん

2002年5月10日
いつもながら、いっぱい愛情のこもったサトくんのお話、楽しく、また興味深く拝見しました。

>一度見たら一瞬にして頭に映像を焼き付けるようです

知的障害の方には、不思議とこういった優れた能力を持つ方が見受けられます。
こんな事を書くと笑われるかもしれませんが、一見不自由にそうに生まれついた方って、神様が必ず何かしら贈り物をして下さっている、そんな気持ちになりますね。
しかも、その障害と思われる事も、見方を変えれば実に愛らしい、いとおしい事のように思われてくるから不思議です。

>石けんの三段重ね

これ、とっても気に入りました(笑)でも、ちょっと使いづらそう・・・。
石けんだと切り上げる歯止めがないから、気が済むまでごしごしこすりつけてしまうんでしょうねえ。
その点、ボディシャンプーなら、しっかりと押す事で切り上げやすいんですね、きっと。
さすがはお母様、サトくんの特性をよくご存じだなあ、って一人うなずいていました。

>「できなかった事ができるようになった」この時が一番嬉しいんです。
>できることをさせないというのはとても辛いことです。

ご家族も大変だし、本人もつらいことでしょう。
でもこのことは、障害といわれる部分にも確かに発達や成長があり、それを正しく伸ばしていくというという意味で、ごく自然なことのように思えます。
そう考えると、サトくんはみごとにすくすくと育っているんですね。
しかし・・・、ご家族はお困りでしょうが、サトくんの成長ぶり、思わず顔がほころぶお話ばかりですね。
お母様のユーモアのセンスが、お話を明るくいきいきと輝かせて下さっている。
そして、そういう心の余裕を失わない姿勢が人の心を打つんですよね。

今回もステキなお話をありがとうございました。
それにしても、節水シャワー、大成功で良かったです♪
かっちママさん

2002年5月10日
サトくん(その4)のこだわりのバスタイム。一生懸命お風呂で体を洗っているサトくんの姿が目に浮かびました。

サトくんのお母さんはえらいですね。
私も中学生になったら、ひとりでお風呂に入れるようにと思っていたのに・・・かっちはもう、中3です。体も横に大きい親子なのでお風呂はぎゅうぎゅうです。おまけに、小6の弟までがまだ一緒に入ってるんですよ。
幼いのかな〜
まあ、そのうち下の子は入らなくなると思うけど・・・
どちらにしても、かっちもたま〜には一人で入りますが、ついつい一緒に入ってしまいます。

がんばって自立させなきゃね。
それにしても、サトくんのお手伝いは残念でしたね。
何か、ピッタリのお仕事できるといいですね。
そういうかっちのお手伝いは、食卓準備の手伝いくらいですが・・・・
さえママさん

2002年4月27日
私も所沢に越してきて間もない頃、早恵を連れて買い物がてら散歩をしているときに、知らない人から言われたことがあります。
「あんた、こんなかたわな子を連れて歩いて恥ずかしくないの?」って。
あからさまな言葉に何も言い返すことが出来ませんでした。
今思い出しても悔しい。腹が立つ。
その方はすぐ近所の方で、今でも時々、顔を合わせます。

でも、こんな方が近くにいると、鍛えられるモノですよね。
「あら〜。明日のことはわからないですよ。
 もしかしたら、自分たちも明日はこうなってるかもしれませんしね〜。
 それに、私、この子のこと、恥ずかしいだなんて思ってませんよ〜。
 かわいい子供のことをそんな風に思うわけないじゃないですか〜。
 あら?もしかして、ご自分の子供さんのことを恥ずかしい存在だと思って子育て してらし たんですか?」って、にこやかに言い返せてしまうようになった自分が怖い・・・。(^^;)
自分の根性が歪んできてるのかしら・・・と思ってしまうこの頃です。
かっちママさん

2002年4月27日
私も同じようなことがありました

私もダウン症の長男が生まれた時サト君やさえママさんと同じような経験をしました。
私の場合は生まれて間もない長男を連れて親戚の叔母のところで、「こういう子は、施設にでも入れて早く次の子をつくりなさい・」と・・・
まだ、子供を育てる事に不安もあり障害そのものに対してもショックが消えてないうちに・・
この子のためにがんばろう!と決意してるのにどうしてそんな事が言えるのかとがっかりしました。
後から聞いた事ですが、その叔母さんも生まれて間もない子を亡くされたことがあったようです。
まあ、新米の母の私の苦労を見越して親切心でいったのかもしれませんが、やはりショックでした。
また、ある時は、知らないおばあさんにバス停で、さえママが言われた様なことを言われたこともありました。
まあ、そんな事あり得ないのですが、知らない人にまで何でそんなこと言われなきゃならないのかと妙に腹が立ちましたけど・・・
どちらにしても、これらは年配のひとで、まだ、障害や病気の事などわからない人たちが言った言葉です。今はきっとこんなこと言ってる人は相当昔の人かも・・・
でも、ほんとこの子を授かっていろいろな事を学んだのは確かです。
人もいろいろな人がいるものだとも思いました。
もちろん、いい人にもたくさん巡り合いました。
さえママさん


2002年4月27日
たくさんレスがついてる!

ありがとうございます。
私も子供と同じように『都合の悪いことは「耳に自動シャッター」』で乗り切って行こうと思います。
でも、私だけではないと思うんです、こういう思いをしているのは。
通園時代のお友達も、
「実家には連れていけないんだ〜。『親戚には知られたくないから、こっちに来るなら子供は置いてこい』っていつも言われるから。だからこの子、実家の人間にも会わせたことがないの〜。」って人がいたもの。

どんな子供でも、みんな一生懸命に子育てしてるつもりなのに、わかってもらえない。
殻に籠もってしまうお母さんたちの気持ちが、すごくわかる気がする。
ayaさん

2002年4月26日
さえママさんにエールを送る

どこでも言ってることで恐縮ですが、信仰を持つとしたら「神は幸福のために障害の子を世に遣わされ、私に育てよと言われた」という事でしょうか。
こんな言葉があるわけじゃありません。でも、私だからこの子を育てられるんだと自信を持とうと思います。
私も不信心ですが、そう思う事で自分に誇りが持てます。いかがでしょうか?
Jさん

2002年4月25日
本当に、実のお母様というところが、何よりも悲しいですね。
人はどんな理由でも良いから、原因を特定して安心しようとする部分があるのかもしれません。
そういった後ろ向きの理由付けが、例えば「悪い霊がついている」とか「親の因果が子に報い」とかいうものなのだ、と思います。

私が住んでいるところは田舎ですが、子どもがいないとか縁づきが悪いとか言っては、入信を勧めに押しかけたりする人って今でも結構います。
病院に押しかけてまで、入信をすすめる人たちさえいます。
こういうのって、怒りさえ通り越して、本当に悲しいです。
物事をマイナスイメージでとらえるのは簡単だ。
でも、幸不幸なんて、相対的なものでしかないと思う。
障害は当事者の方にあるのではなく、周りが作り出す壁の方にこそあるのではないでしょうか?
打ち砕くべきは、壁です。

私たちは、たまたま一時的な健常者であるに過ぎない。
そういう謙虚な気持ちが、世の中を明るく照らすように思います。
そのためにも、

Leeさまwrote>、「明るく」「軽く」「幸せ」になることで分かってもらう

私もこれだ!と思います。
さえママさん、何を言われても、あなたが明るくいきいきと輝いていれば、それが不幸ではない証になります。
雑音はほっといて、めざせ!いい女♪
これでいきましょう(^_^)v
Lee

2002年4月25日
さえママさん、こんばんは!

サト君と似たようなお話、残念ですね。
さえママさんの場合は実のおかあさんなのですね〜!

>あんたがこういう子供を産んだのは、あんたの業が深いからだ。
> あんたは前世できっと悪いことをしてたんだ。
> あんたの罪が大きいから、この子はこうなったんだ。」
>「この子は女の子だからねえ、何があるかわからない。
> 子供を産めないように手術をした方がいいんじゃないのか。」

これはちょっと・・・!
このようなことをいう信仰心って何なのでしょうね!
もっともこのような言い方って、ちょっと昔まではよくあったのでしょうね。

障害児教育というのは、まだ比較的歴史が浅いですよね。
数世代前までは、そういう風に考える人も多かったのでしょう。
そして今だに、そういう考えに苦しめられる人もいるでしょうね。

そしてそれも実のお母さんから言われるのはつらいですよね。
障害のある子供を持たない私には、そのたまらない気持ちが十分には分からないかもしれません。
でも、それでも「この子を持って良かった」ということができるように、お母さんも子どもさんも、うんと幸せになって欲しいと思います。
障害のある子どもさんを持つことを、「業」だとか「前世」だとかの暗いイメージでとらえる人には、「明るく」「軽く」「幸せ」になることで分かってもらうしかないですね。
どうぞ落ち込まないで・・・、そんなことは頭から追い払い、楽しいことをうんと語り合いましょう!
「こうちゃん」や「サトくん」を応援してくれる人がたくさんいるのです。
みんなが「こうちゃん」や「サトくん」から元気をもらっているのです。
「早恵」さんの楽しいお話を聞かせてくださいね♪
さえママさん

2002年4月25日
ご無沙汰です

しばらくぶりです。早恵も無事、3年生に進級しました。
同じクラスの男の子が訪問学級に移ってしまい、ちょっと寂しい気もしますが、
やっぱり、学校は楽しいようです。

>こうちゃん・その11
ちゃっかりしているところは、どこの子供も同じですね。
うちの子供達も都合の良いことだけは、ちゃーんと覚えてますよ。
でも、都合の悪いことになると、耳には自動的にシャッターが降りるようです。

>サトくん・その3
・・・考えてしまいました、お姑さんの言葉。
私の母親も、同じ事を言います。
私の母親はとても信仰心の厚い人で、実家に帰るたびに言われます。
「あんたがこういう子供を産んだのは、あんたの業が深いからだ。
 あんたは前世できっと悪いことをしてたんだ。
 あんたの罪が大きいから、この子はこうなったんだ。」
「この子は女の子だからねえ、何があるかわからない。
 子供を産めないように虚勢の手術をした方がいいんじゃないのか。」

・・・ここまで言われると、もう相手にはしたくなくなります。
思い出すだけで、落ち込んでしまう・・・。
ayaさん

2002年4月24日
raccoさん

姑の事を悪く言うばかりで今日は夢に出てくるのでは?と少し慄いていますけれど・・
姑の事は時代や境遇がそうさせたのだと思います。反面教師だったのか、夫はちょっとジコチュウですがサトと兄弟のように接して優しいのです。(私としては父親としてを望みたいですが)口の悪さは親譲りですが私にはちょうど合う夫だと思っています。この辺は夫の両親に感謝!です。

>>だけど、18&#44;000円の水道代は痛い…。(/_<。)サトくん、お手柔らかにー♪

さっそく節水シャワーヘッドを取り付けました。今のところ効果てきめんです。こっちの方が上手でなくちゃ!
ayaさん

2002年4月23日
私も、ありがとうございます。

今日は会議で来るのが遅くなりました。
今回はドロドロ部分でした。姑はもう亡くなってしまったので、リアルタイムの軋轢はなくなりました。

でも結局自分の死に際しても同じように「迷惑をかけるから死なせて!」と言っていましたから、理解し合えずに関係が絶たれてしまったと感じています。
姑の昔話は悲しい思い、いやな思いが多かったです。のほほんと育ってきた私にはドラマのような事がいっぱいでした。やはりその積み重ねが姑をそういう人物にしていったと思うと、姑はかわいそうな人だと思います。

別居した事は姑たちにとってはもっとも悲しい事だったようですが、子どもとの毎日を考えるとやはり良かったのかと・・・会えばずいぶん優しくしてくれました。

こうちゃんの大家族がとても優しいご一家で恵まれている事が羨ましくもありますが、人それぞれ、いろいろな人生模様があると開き直っています。
恵美ちゃんママさん

2002年4月22日
サトくんの生い立ち

りんりんこうちゃん11に続き、読ませていただきました。
子どもに合わせて創られていく環境、考え方などたくさん感じました。
あまり強く言ってしまうと過保護、過干渉などと捉えられそうですが、
親が築く道標、責任も大切に思います。

命という事に関して、自分も今年になってからも二人のお友達を見送りました。
こういう経験が恵美ちゃんと歩む人生に多くの影響を与えられています。

ひとつひとつのお話から生き方というものを
教えていただけている感じがします。
MANATSUさん

2002年4月22日
「サトくん」その3 を読ませていただきました。

サトくんが赤ちゃんだった頃のお母様、お父様が懸命に育てていらっしゃったご様子に
胸が熱くなりました。

障害を持ってしまったお子さんに向けて仰られた今は亡きお姑様の言葉に
私も強いショックを感じました。
誰の命も皆平等に尊いはずなのに・・・。

ボーリングを楽しむサトくんの後ろ姿♪
とっても楽しそうですね〜
一生懸命遊んでいる様子が背中から伝わってきましたよ(^-^)ニコ
Jさん

2002年4月22日
「サトくん その3」拝読しました。

こうちゃんの生い立ちもそうでしたが、お母様としては、本当にいてもたってもいられないような思いに駆られた事だろうとお察しします。

お姑さんは、障害のある子どもたちの置かれている暗い世界ばかりのぞいてしまったのでしょうか?
そういう考えを持つに至った経緯を考えると、何だかとっても悲しい思いが胸の中にあふれます。
私も、仕事柄、決して明るいとは言えないような側面ばかり見つめてきましたが、それだからこそ、「生きている、そのことに意味がある」と思うのです。
そして、この考え方の違いはどこからきたのだろう?と考えてしまうんです。。
たぶんに我が国の障害者福祉の歴史的な背景もからんでいるのでしょうね。
でも、どんな理由があるにせよ、こういった後ろ向きの考え、ご本人やご家族に言うものではありません。

せっかく生まれてきた命を否定してはいけない。この世には、無意味な命などない。
私はそう思いたいです。
障害者は世間の迷惑、そういった発想は、もうおしまいにしてほしい。
つらい、苦しい、重い、暗い、こんな言葉で彩られた福祉は、誰にとってもつらく、苦しく、重く、暗いものにしかなりません。
明るく、楽しく軽々と乗り越えていける世の中にしていかなければ、いつまでたっても障害を持った方々は、社会の片隅で遠慮して、小さくなって生きなければいけません。

障害とは、生活のしづらさを抱えていることだ、と思います。
だから、生活しやすい世の中になれば、今まで障害と言われてきたものも障害ではなくなるのです。
お姑さんの後ろ向きの発想は、過去の暗い福祉の歴史でしょう。悲しいことです。
でも、これからの歴史を作っていく私たちは、そう考えてはいけないのです。
これから先が暗いままか、明るくなるかは、まさに私たちの力にゆだねられているのだ思います。
あえてこういったお話の掲載を決断なさったサトくんのご家族に、心より敬意を表します。
ありがとうございました。
Jさん

2002年4月20日
ayaさま
>手をつなぐ育成会の支部総会が近づき、その準備、資料作りに追われています。

大忙しの毎日ですね。
でも、一生懸命前向きに取り組んでらっしゃるご様子、すばらしいなあ。
先日、自閉症児のご家族のお一人と話す機会がありました。
こちらのご家族も、地に足をつけてしっかりと立ってらっしゃいました。
お話ししていて、私の方が元気づけられました。

>不惑の肖像という連載コラム
>みんな、身につまされる話ばかりです。

これは、お子様に障害があるなしにかかわらず、あちこちの家庭で散見される問題のような気がします。
何か問題が起こると、とたんに家庭内がきしみ出します。
実は、元々内包されていたものが、ちょっとしたきっかけで噴出してくるだけなのかもしれませんね。
それを幸とするか不幸とするかは、その後の対処の仕方にかかってくるように思います。
このあたりはでらさんが一家言持っているような気がします(笑)

>Jさま
感想をいただきありがとうございます。実の所、文章になるときれい事になってしまって・・実際はもっとドロドロです。本当に恥ずかしい・・<

私たちもいろんな事に取り組んでいますが、何もかっこいいことなんかありません。
本当に試行錯誤の連続で、じたばたとドロの中をはいつくばっているようなものです。
大切なのは、それでもやるんだ!という気持ちであろうと思います。
もっともこの言葉、半分は自分に言い聞かせているんですが(笑)
Lee

2002年4月5日
raccoさん、同人社掲示板では、お名前をよく拝見しますが、掲示板でお話しするのは初めてですね。
よろしくお願いいたします。
ダウン症は700人に一人、自閉症は1000人に1人か2人生まれてきます。
つまり350人に一人はダウン症か自閉症の方がおられる。他の障害の方も入れると・・・、一クラスに一人は障害のある方がいてあたりまえなのです。
また、これからの高齢化社会を考えると、もっともっと多くなります。
それはこれからは何事も障害のある方について知っていないといけないということですね。

こうちゃんやサト君のことを、となりの男の子のように親しく感じさせてくれるこれらのエッセイは、われわれにとってもとても勉強になることではないでしょうか。

>初めて「サトくん」に触れるまで、自閉症とは心の病だと誤認していました。

そういうふうに言われることが多いのです。
閉じこもっている人を「あの人は自閉的だ」とか・・・。
でも、自閉症の人は決して閉じこもっているわけではなく、コミュニケーションが苦手なだけなのです。
そして教育や育てかた次第では、社会の中で、人々とやっていけるし、働いていく人も多いんですよ。

また、こうちゃんとサト君では、性格も違うし、自己表現も違いますが、それぞれ個性的で楽しいんです。
どちらのエッセイも読んでいただいてありがとうございます。
どちらのキャラクターも楽しんで下さいね♪
Jさん

2002年4月3日
自閉症って、かつて「子どもの分裂病」と言われたくらい精神分裂病(統合失調症)と似
た症状があって、しかも世間での誤解が大きい障害ですよね。
ダウン症のこうちゃんに続いて自閉症のサトくんを取り上げたLee先生の視点、さすがだ
なあ、と思いながら読み進んでいきました。

自閉症児特有のこだわりについては、私もあるご家族から伺ったことがあります。
そのお子さんは、通学の途中にある風俗関係の看板にこだわりを持ってしまい、その看板
を見るたび大声でその名前を連呼するのだそうです。
「恥ずかしいけど、叱ってもわかりませんからねえ。。。」と苦笑してらっしゃいました。
仕方ないので、その看板が見えないよう、遠回りしながら通うことにしたそうです。
時にはらはらするけれど、でも本人は一生懸命だし、どこかかわいいんですよね(笑)

自分の感じたことをうまく相手に伝えられないので、理解されない悲しさや苛立ちからく
るストレスはとっても大きいと思います。
そのため、二次的に神経症まで背負ってしまったり、自傷に走ったりしてしまう。
これも、いわゆる精神障害の方とよく似ていますね。
本人も周りも、本当に辛いだろうなって思います。

多少人とやり方が違っていても、その人なりのやり方があるなら、そして、それで不都合
を生じなければ、本当はそれでいいんですよね。
でも、それでは困ることが出てくるから、周りには辛抱強く待ちながらタイミングを見計
らったり、繰り返し訓練していくことが必要になる。
これは、私が日頃、精神障害の方々と接する中で感じていること、そのまんまです。

今回のお話を読んでいても思うのですが、人としての社会的成長を促すという意味において、この一連のエッセイは、障害のあるなしに関係なく大切なことを示しています。
サトくんもサトくんのご家族も、魅力的ですてきな方々のようです。
これからの展開、心より楽しみにしています。

Lee先生の編集も、更に磨きがかかってきましたね♪