お楽しみの本
お金の思い出 石坂啓 1996 新潮社 1250円
石坂さんは漫画家です。今、朝日新聞に息子さんの育児について書いている。
この本は、大学生の頃から、漫画が売れ出す頃までの、お金にまつわる思い出を書いています。
石坂さんの漫画家になるまでの苦労、手塚プロのことなどが中心です。
目次は
1 手塚プロの日々
2 ひまわり荘の日々
3 お金の神様
著者の一家は父親の会社が倒産して、夜逃げ同然で狭いアパートに移った。
石坂さんは漫画に関心があったが、教員試験も受けており、1次試験に通った。家族は教員になることを期待した。
しかし、2次試験に落ちる。そして美大にすすむ。
何しろ家は貧しいので、学生生活も慎ましい。そして様々なアルバイト。
大学を出て手塚プロに入る。漫画の仕上げの仕上げをやりながら、アニメにも進出した手塚プロで漫画に対する意欲を膨らませる。
一方、給料が入ると飲み歩き、すぐに使ってしまうようなお金とのつきあい方。
その後は漫画が売れ出し、家も少しずつ大きい物になっていく。
お金とのつきあい方は難しい。
軽んじてもいけない。無知でもいけない。しばられ、振り回されてもいけない。
小さいとき貧しすぎると、変にお金に執着してしまう。(こんな例は最近ありましたね)
かといって豊かすぎると、お金のありがたみや程いい使い方が分からない。
お金は人の生き方にも影響を与える。しかし、あんまりお金に影響されたくはない。
この本では、貧しさからスタートした著者が、自分でお金を稼ぎ、惨めな思いもし、その反動から散財するような経験もしながら、漫画家として世に出ていくまでを描いている。
何にももたない裸同然の著者が、東京で時には1円に困りながらやっていく様子には共感する。
貧乏をものともせずに独り立ちしていく精神は、今の時代にうなずくところが多かった。
お金は「人の役に立つ女神」「人を誘惑する悪魔」の2つの顔を持つ。
人の生き方に「お金」は大きな影響を持つ。
人はその才覚で、悪魔の誘いを断り、お金の上手な使い方を学んでお金を女神にすることもできる。
しかし、それは一生かかって学ぶことであろう。(私も無駄使いせずお金を女神みにしよう!パンパン・・・柏手)
「半眼訥訥(とつとつ)」高村薫 2000年 文芸春秋 1381円 (2001年11月11日)
高村さんは女性ですが、ミステリーの大家。直木賞をとっている。
その高村さんが新聞や雑誌に書いたものを集めたのがこの本。
ミステリーとは違う、生活実感のある文章で、とても興味深かった。
全体が8章に分けられている。時代のこと、子どものこと(ご自分は結婚しておられない)、仕事の風景、家について、小説、音楽、大阪、などに分かれている。
私が読んだのは、もちろん「家について」から・・・。
さすが女性、視点が生活に根ざし着実。
例えば、大きな家を買って、すてきな生活をしようとしても、毎回掃除するには女性はすごい労力を要する。あこがれのおしゃれな生活を維持するのは大変だ。
寝具については、ふとんのカバーなどを替えるのは大変だ。
そうそう、女性誌はおしゃれな生活と言って、素敵な家やインテリアをいうけど、あんな風にして、かつ仕事もするのは、それだけで苦しい生活になる。
マスメディアが流す素敵な生活と、実際の生活の間には、大きなかい離がある。それが、人々がより実際的な労力も少なくてすむ生活を作るさまたげになる。
人々はそのような幻の豊かさに踊らされている。
家も、高いローンを払い、2,3十年でこわすようなものを買ってきた日本のやり方でいいのか?
というようなこと。
女性だから、生活者だから見えることです。
おもしろい。
また、この方の経歴は・・・。大学を出て、ある会社に勤めた。熱心といえる働き方ではなく、数年でやめ、パソコンで文章を書き連ねていったのが、スパイ者のミステリーだったそうだ。また、長いこと、病気の家族を看てこられたそうだ。
この方は、今の時代に対しても的確な評論をなさっている。やはり生活者としての視点がおありだからだろう。
「だからこうなるのー我が老後」佐藤愛子 1997 文芸春秋 1095円 (2001,11,9)
本の紹介から
「1923年大阪生まれ。(現在78才ですね。)
小説家佐藤紅緑の娘。
「戦いすんで日が暮れて」で直木賞。
ユーモア溢れる世相風刺と人生の哀歓を描く作品には定評がある。」
「戦いすんで日が暮れて」は夫の多大な借金に追われる生活を描いていた。
私は有名作家でもこのような生活があるのかと、びっくりした覚えがある。
そして借金も返し終わり、娘を育てながら、まじめで辛口な小説や、ユーモア溢れる小説・エッセイを書いている。
最近は父佐藤紅緑とその妻、子どもの生涯を描いた「血脈」がヒットした。
この作家のエッセイはおもしろい。
一生懸命、しかし感情の起伏が激しく、時に周囲を困らせ、自分でも当惑し、それでも突進していく・・・、その姿が自分自身と重なるようで思わず笑ってしまう。
もちろん、これは佐藤愛子さんの本当の姿ではないだろう。
自分自身をおもしろく、ユーモラスに描き出す、彼女の脚色があるだろう。
しかし、生活や出来事はかなり事実に近いだろう。
女一人でこれだけの作家になってきた迫力に、また我々のものと余り変わらない家庭や生活をこんなにおもしろく描けることに感心する。
そして前に述べた「血脈」のような本をこの年で書き上げる力にも・・・。
このエッセイ集に「遠藤さん、ごめん」というのがある。
仲の良かった遠藤周作が亡くなり、翌日マスコミから電話で取材を受ける。
しかし何にも言えない。
彼女が思い出すことは、遠藤さんとの「少年少女にもどった」つきあいのこと。
「けち!」といいあったり、一緒にいたずらのようなことをしたり。
遠藤周作が病気になり入退院をしていたころ、思いついて自宅に電話した。
思いがけず、周作が出てきた。
愛子は逆上し「元気?」と聞き、「あーよかった・・・・声が聞けて・・・」
というなり、わーっと声を上げて泣き、そのままオイオイ泣いていた。
それが遠藤さんの声を聞いた最後だそうだ。
「自分のことをわかってくれる人はもう一人もいない」と書いている。
ある解説に
「佐藤愛子の最近の本に共感するのは、年を取ったということだろう」と書いてあった。
その通りかも知れない。
「兄弟」 なかにし礼 (2001,9,24)
おもしろかった!
お兄さんとの確執が見事でした。
「特攻隊」で死ねなかった兄の事が最後に分かるのですが・・・。考えさせられました。
成功する弟、そして借金だらけで死ぬ兄。
私はなんだか、日本というコインの裏表を思いましたよ。
繁栄する日本、そして現在借金まみれでくずれいく日本。
両方が裏表で・・・。
まさに戦時中から現在までの日本を象徴するような話でした。
また、ここで描かれた「特攻隊」のことに、今のアメリカをおそった「自爆テロ」も重ねたのです。
「〜のため」に自爆すること・・・。
兄はそれができないで戦後を迎え、何かを失って自暴自棄な生活を送る。
「〜のため」っていったい何なのだろう?
「ホームページデザイン」株式会社アスキー 2000円 (2001,7,14)
センスのあるホームページにするには、どんなことに気をつけたらいいかを書いている。
レイアウトや色彩やフォントについては、「フーン、そうなのか」という程度で読んだ。
だって、いくら読んでも、このサイトのセンスはあまり変わらない。
私の胸に響いた言葉は次の文章。
「日記は・・・・。思うに社説や政治評論、事件事故に対する意見はやめた方がいいでしょう。
これは続けてみると分かりますけど、自分の考えがいかに偏っているかを暴露してみせるだけになります。
どうしても論調が強くなって、読む人を辟易させます。」
そう!
わたしもこの政治ブームにのって、何回か田中真紀子さん、小泉首相について書きました。
しかし、後になったら後悔することが多い。
ニュースをみると、「なんか変になってきたぞ」、とか「大丈夫かいな」とか思うかとがしばしば。
やっぱり政治については口を出さないがよさそう!
「柔らかな頬」桐野夏生 1999年 講談社 1800円
(2001,5,28)
一気に読んでしまった。
これは直木賞を受賞しています。これはミステリーではありません。
わたしもミステリーと思って、犯人探しのつもりで読んだのだが・・・。
感想としては、登場人物の描写にうなずくところも多かったが、ミステリーと思って読んでいるから、最後が腑に落ちない。
幸せな家庭の娘が突然いなくなる、エリートデザイナーが一転してひもに、とか、エリート警察官がガンになり、余命半年となるなど、登場人物の人生が大きく変化する。
そして、幼児失踪に対する登場人物の思いも変化していき、各自が見る夢の中で、その人の心の闇をあぶりだす。
主人公たちは、「割り切れなさ」をどうにか解決しようと漂流していくのだが、読んだ私も最後までその割り切れないままで終わってしまった。
おもしろいけれど、割り切れない・・・、という物語です。
わたしには、すぱっと割りきれる、犯人と理由が分かるミステリーが合うようです。
また、人の心の闇というものは若いときにはのぞいてみたいし、その元気があるが、人生黄昏時になると、身体と心の元気が追いつかず、心の闇をのぞくより幸せになるパワーが欲しくなるのかも知れません。
若くて元気な時代に、より共感するのかも知れない。これは私だけの感想かも知れないが・・・。
明日は運動会の後は打ち上げになっています。
「おばあちゃんのパソコン指南」 コンピュータおばあちゃんの会代表大川加世子 筑摩書房 1400円 (2001,5,22)
高齢者にこそパソコンは必需品。超高齢化社会に備えて、高齢者だけでのんびりと遊びの中でその操作を習う場所が必要と発足した「コンピュータおばあちゃんの会」。
代表の大川さんは、あっちこっちと交渉して、サロンを立ち上げる。
そこには88才のおばあちゃんなど、大勢の高齢者がどっと訪れる。
教えてくれるサポーターは、大学生やボランティア、中高生までがやってきて、互いにユニークな交流が生まれる。
これがホームページ。「コンピュータおばあちゃんの会」
おばあちゃんたちがお絵かきソフトで描いた絵で作った絵本や、会員の色々な作品がある。
おばあちゃんの8月15日というコーナーも。
コンピュータという新しい道具を媒介に、いろいろな世代の人々が交流する。
これを読むと、コンピュータは冷たい箱であるが、それを使いこなせば、人間的で創造的な生活や人間関係が生み出されることが分かる。
「高齢者や身障者にこそ・・・」という言葉はうなずけますね。
東電のOL殺人事件 佐野眞一 新潮社 1800円(2001,4,7)
数年前に起きた事件で、いわゆるエリートOLが殺され、調べるうちに東電のキャリアウーマンという昼の顔と、売春婦という夜の顔があらわれる。その落差で人々の関心を集めたものでした。佐野さんは数年の間歩き回り、関係する場所や人を訪れる。その間、容疑者とされたネパール人のえん罪についてもふれられる。
人々がもっとも関心を持つのは、なぜエリートの家庭で育ったエリートの娘が、すさまじいまでの夜の顔を持つようになったのか、という点でしょう。
読んだ後、この女性は「古風でまじめ」だったということで、かえってこのような堕落的な行状をするようになったのではないだろうか、と感じた。
東大卒で東電で重役になるだろうと目された父親を持つ。この父親を非常に尊敬し慕っていたが、大学生の時に父親は亡くなる。東電に入り、熱心に勉強し論文などもかき、賞ももらう。
しかし、ある時から夜風俗の店で働くようになり、年と共に安く自分を売るようになり、最後は殺される。
なんとも痛ましい話である。
当時はまじめなエリートの女がそのようなことをしたのか、とおもしろ半分の見方もあったろうが、この本が出た頃は、若い女性から「人ごととは思えない」という共感の声が多かったそうだ。
この事件はイラン人のえん罪のこともテーマの一つであったが、女性のこの世の中での生きにくさも背景にあると思う。
また、家族やその中でどのように育ったかということや、拒食という問題も浮かび上がる。
私は、エリートとか出世とかいう考えの強い環境の中で、観念的なものが非常に強くなり、身体と心が一体化しない女性の不幸という感じがした。
世の中のエリートと言われたり思っている人たちも実際には弱さも持っているし、現実の中で非常に辛い場面におちいった時に、思いもかけない堕落や犯罪に巻き込まれることになるのだろう。
最終章に精神科医の斉藤学さんとの対話がある。
この人の本は以前に読んだことがあっったので、理解しやすかった。
特に次のような記述があった。
「現代の市民達は暴力で抑圧されることは少なくなったが、代わりに徹底的な評価で管理され、“品質”ごとに階層化されるようになった。この評価は内面化されて厳しい自己評価となり、自らを客体化して他者(社会)にとっての「品質の良い製品」となろうと必死になっている。身体を売っているのは、売春婦だけではない。現代市民達の多くは身体どころか心まで、社会というシステムに売り渡しており、家族はこのような現状適応主義の学習の場になっている。」
ロザムンド・ピッチャー「メリーゴーラウンド」「コーンウオールの嵐」東京創元社 1800円 2300円(2001,3,11)
何かおもしろい文学はないかと手にしたこの本は、ゆったりとやさしい気分にしてくれました。
舞台はイギリス。コーンウオールという田舎です。若い女性が自分にふさわしい男性と出会い結婚するまでの話です。
ありきたりの女性向けロマンス物という感じですが、ひと味違います。
読んでいて、私が卒論に選んだジェイン・オースティンの小説と設定が少し似ているなと思いました。
いわゆる世俗的な成功者との結婚をせかせる母親。それに対し自分の仕事や趣味を大切にしたい主人公。
そして現実の中の「残酷で、利己主義,無関心」な人々。その中で主人公はserendipity(偶然な幸せを発見する能力)で幸せをつかむ。
これら少女向け、あるいは若い女性向けの話はたくさん読んできました。
「赤毛のアン」「小公女セーラ」「足ながおじさん」などなど。
どの話の少女も、自分が置かれた状況の中で、精一杯努力しながら、精神的により豊かな生活に向けて夢を持って生きていきます。
夢やユーモアは大事なキーワードです。そして生活を大事にし、小さな工夫をします。
いまの日本はバブルの後始末やお金のことで暗い気分ですが、このような夢やユーモア、やさしさといったものは、苦境を切り抜ける一番の方法だと思います。
この本を読んで、急に台所をきれいにしたくなりました。生活の場をきちんとする、これは大切ですね。春になったら窓も磨かなければ・・・。
ロザムンド・ピルチャーの田園での生活 (2001,4,14)
最近の読書はロザムンド・ピルチャーです。もう7〜8冊読んだ。
何がいいって、スコットランドの田舎での暮らし。
7〜8年前にイギリスとスコットランドを長く旅した。安いB&Bに泊まりながら・・・。
その時の田舎の様子を思い出すこともある。
日本での現在の慌ただしい生活をしていると、イギリスやスコットランドの自然と一体化した生活がすばらしいと感じるのです。
もちろん日本の田舎でもいいのでしょうが・・・。
でも、日本はあまりにも金や物や権力や競争に追われすぎている、と思いませんか?
イギリスはなぜゆったりした暮らしができているのか?
全盛期の蓄えもあるでしょうね。あちらは家は100年とかの単位で長く住むのですから。
日本のように1代が住宅ローンを2000万円も3000万円も(都会では4〜5000万円)借金するなんていう必要はない。
家具や食器なども古い物が大事にされる。
服もリサイクルが流行っている。
楽しみはガーデニングなどでお金はあまりかからない。
多分日本もイギリス風の成熟社会に移行するでしょう。
このような考えには「そんな金を使わない社会は経済的な発展はない」と言うかも知れない。
しかし、バブルで何が残ったのだろう。環境破壊が進んだだけ。
日本も貧乏になりつつあるなら、自然と資源を大事にしながら、かしこく生きていく道を考えたがいいのかも知れない。
「つばさ」ダニエル・スティール(2001,3,3)
あの超訳本です。わたしも、気軽に読めるからよく読むのです。
ダニエル・スティールは「幸せの記憶」「無言の名誉」「敵意」「贈り物」などが発行されている。
この本はキャッシーという天性の飛行機乗りの女性が主人公。
他愛のない本なのだが、ぐいぐい読ませるのですね。女性が飛行機に乗ってアクロバットで優勝するとか、すかっとする粗筋なのです。
シドニー・シェルダンものもそうですが、女性が弁護士や検事、実業家になり、自分の才能を十二分に発揮する。やがて思いもよらぬ陰謀やチャンス、事件に巻き込まれる。男性の愛や助けもあって、最後はハッピーエンド、というパターンです。
これらの本がアメリカでも日本でもよく読まれるのは、現実には窮屈な女性が、本の中では主人公の活躍にすっきりしたいのでしょうか。
この本の中にはパールハーバー攻撃もでてくる。ダニエル・スティールの本では、戦時中の日本女性の運命を描いたものもあった。日本では日本から見た戦争の描き方になるが、外国の作家が描くとこのような描き方にもなるのですね。
それにしても、これだけ読ませるのだから、単純な小説とは言っても、すごい物語テラーではありますね。
「凍える牙」乃南アサ 1996年 新潮社 1800円(2001,2,1)
主人公の設定がおもしろい。音道貴子 刑事 離婚歴1回 今独身 一人住まい 30ウン歳
そして貴子が、ある事件で一緒になった(相方)刑事 滝沢保 仕事はさえるが、さえない中年 以前妻に逃げられた
そして今一人(一匹)の主人公は、ある魅力的な動物。
レストランで男が突然燃え上がった。数日後にベイエリアにかみ殺された死体が・・・。
貴子と滝沢は共にこの事件の担当になる。まったくかみ合わない二人は、反目しながら事件を追っていく。
この二人の反目は、男と女、新しい女と古い男、新しい手法と古い手法、などから来る反目のようです。
警察、特に刑事という男ばかりの世界に自ら入っていった貴子には、当然居心地の悪さがあります。しかし、気負って、弱みを見せまいとする貴子。いっぽう滝沢は、妻に逃げられ女性不信がある上に、育てている3人の子どもとはなかなかうまくいかない。また、貴子の実家でも、妹たちがごたごたをおこし、貴子は母親からせめられる。
二人が追う事件の背景にも、やはり家庭の問題がある。
刑事たちも、家に帰れば一人の夫であり、親である。仕事と家庭。女と男。すれ違いから起きる悩みや事件。
しかし、二人は反目しながらも、知らず知らずのうちに、お互いの良さを感じてひかれるところが出てくる。その様子はまるで恋愛小説のような趣さえある。
作者は女性なので、貴子の心理描写がうまい。そして、たぶん刑事コロンボよりももっとさえない滝川にも、やさしいまなざしを見せている。
この小説にはある動物が出てくる。
今夜のテレビのドキュメンタリーで、ピコという象が、虐待と思える扱いを受け死んだ話をしていた。
動物だからとひどい仕打ちを受けるのは、見ていられません。
もっとも、最近は幼児が虐待を受け死ぬ話も多い。不況が進行すると、一番弱いところにしわ寄せが行くのでしょうね。胸が痛みます。
信兵衛さんの書評はここ
「仮装集団」山崎豊子 1986 新潮社 (2000年12月17日)
古い本です。「沈まぬ太陽」が良かったから、読んでみました。
労音と音協に似た団体が出てくる。労音と言っても知らない人が多いだろうが、昭和35年当時、勤労者のための音楽組織であった。
著者はその労音が開く音楽会を聴いて、ある思想の色に染めていくやり方に気づき、この小説を構想したという。
小説では、主人公流郷が勤音という音楽組織の中で、魅力のある企画を立てて会員を集めるが、イデオロギーに支配されていく組織に次第に違和感を覚え、浮き上がっていく様子が描かれる。
当時はソビエトは大国でしたが、今は大きく変わり、そのような時代もあったか・・・、というほど変化しました。
しかし、時代背景は変わっても、人こころは余り変わっていない。
いつの時代も、何かの団体に自分の全てを預けようとする人は多い。政治団体、宗教団体、芸術団体・・・。
その組織の中で権力闘争がある。また、組織を広げるために、人を様々なやり方で勧誘する。
山崎さんは勤音と協音(財界が作った音楽組織)という二つの組織を描きながら、イデオロギーに支配され組織の矛盾、欠陥を描いている。
古いけれど、現代にも通じるものがありました。
山崎さんはその時代の背景の中でキーワードになるものをするどく探り当て、小説にあらわしてきた作家です。
「沈まぬ太陽」全5巻 山崎豊子 新潮社 一冊約1600円(2000/12/10)
御巣鷹山の日航機事故やその頃の会社を(国民航空という名になっている)テーマとしたもの。
1,2巻・アフリカ編
国民航空に勤める主人公恩地。
恩地はひょんなことから組合長に推され、断れずに引き受ける。当時劣悪な労働条件であったものを、組合運動により改善させる。しかし、彼の力を恐れる幹部らにより、パキスタン任務を命じられる。2年の約束は反故にされ、何と10年近くもアフリカなどでの過酷な勤務を余儀なくされ、家族も崩壊するかというつらさを味わう。最後にようやくその不当人事が表に出て、日本に帰ることになるが、出世の道をあるく元の友人・行天に引き替え、窓際に追いやられる冷遇を受ける。
3巻・御巣鷹山編
組合は第二組合が作られ弱体化する。そして、いい加減な整備点検体制からいくつかの航空事故が続き、とうとう御巣鷹山事故が起きる。
恩地らは遺族との交渉をさせられる。
遺族らは国民航空の責任を問うべく裁判をおこす。
4巻・会長室編上
5巻・会長室編下
遺族との交渉に誠意を持ってあたっていた恩地を、事件後に新たに会長になった国見が「会長室」に引き抜く。二人は国民航空の経営や組合問題を立て直し、安全な航空会社にしようと努力する。親方日の丸的な航空会社対、立ち上がる犠牲者の遺族、および、社員や利用者の安全を考える国見や恩地ら・・・。
時の総理、利権を求める議員、会社が生み出すお金にたかる社員、業者、アメリカの会社、などなど、欲に動かされる人間と、国見・恩地達。
山崎さんの筆力に引き込まれた。よくこれだけ調べて書き上げたものです。
1,2巻の恩地の運命には胸を打つものがありました。10年間もいわゆる僻地、あるいは地の果てのようなところにおかれ、家族も呼べずに、孤独感で神経が病むかというところまで追いつめられる。楽しみは象などを狩猟し、撃ち殺すときだけという自身の惨めさをかみしめる恩地に、人を追いつめるのは簡単なのだと、組織の恐ろしさを思いました。
ここにでてくる総理や政治家はほとんど実在の人をモデルにしている。ああ、あの人かと分かる。
その中の数人はすでに故人になっているものの、まさに同じ体質が現与党にもあるわけで、つい最近つぶれかかった政権が、引き続き21世紀にも存続していきそうです。どの政権が悪いというのでなく、長くトップの座に居座ると、人間や団体・党はどんどん腐っていく・・・、ということではないだろうか。
山崎さんが渾身の力で調べ訴えたものが、21世紀にどのようになるか見ていきたいと思います。
さて、読後「沈まぬ太陽」で検索すると、たくさんのサイトがある。おもしろかったのはモデル。あげく当時の内閣のことまで。また、週刊朝日が反論記事を書いたらしく、それものっていた。
映画にもなるそうです。
色んな情報を集められるところ、「総合的な学習」です。
関連サイト・・・山崎さんのインタービュー記事が載っています。ぜひ行って下さい。
新潮社読者の声・・・多くの人の感想
モデルをあかす
「永遠の仔」天童荒太 幻冬社 1900円 1800円 (2000/12/3)
おもしろい。
プロローグは、女の子1人、男の子2人が、神様の言葉を求め霊山に登るところから。3人はある病院に入院して、養護学校の分校の生徒。せっぱ詰まった思いで、「あること」を計画している。
17年後、3人は看護婦、弁護士、刑事として働いている。そして運命のように再会した。
3人共、子供時代のこころの傷があるようだ。」
読み進むと切なくなってきます。
つまり、親や誰かにひどい仕打ちを受け、心や体に傷を負った子供が、成長して、その傷や恐怖から、自分の子供や他人に同じ傷を与えずにはおられない、という・・・。
いつまでも循環してしまうのだ。
数年前に病弱養護学校にいたときに、心理学や精神病の本はずいぶん読んだ。特に「アダルトチルドレン」や「境界例」などについても。特に母親の期待や押しつけにストレスを感じ人がいることなど。
この小説の中にも、母親、父親の理不尽な態度から、心に傷を受ける子供が大勢登場する。
そしてそれは犯罪をまきおこす。
親の仕打ちから傷を負う子供もかわいそうだが、その親も親からの仕打ちによりそのようになっている、というきりのない循環に、絶望的な気持ちになる。
親からひどい仕打ちを受けたから、子供にそれを向ける、と言うことはいいわけにはならないが・・・。そうせずにはおれないほど、幼い心に傷を受けるのだろう。
あまりに暗い結末に、児童虐待の恐ろしさを感じた。
3人はどんなに努力して新しい人生を切り開いても、幼児期の虐待の傷からのがれられない。愛する人にまで自分の苛立ちやうっぷんをぶつけたりする。そのことをまた後悔することになる。
かれらがどのようにしたら幸せになれるのか・・・、簡単に答は出せない。
暗く深刻な内容であったが、主人公の行優希が病院でアルツハイマーの患者を一生懸命に看護したり、相手を人としての尊厳を大事にしながら接するところなどに、作者の人間観、福祉や医療に対する姿勢を感じた。
「水の眠り灰の夢」桐野夏生 文芸春秋 1600円(2000/9/5)
わたしはこの作家のものは初めて。才女なんだ・・・。江戸川乱歩賞を受賞している。
あらすじは見開きより
「地下鉄爆破に遭遇した村野は、連続爆破魔<草加次郎>の取材に動き出す。が、ふとしたことで知った女子高生が殺害され、彼は容疑者とされてしまう。真犯人を追ううちに意外な事実が・・・。昭和38年、高度成長期を駆け抜けるブルーな東京を舞台に、週刊誌のトップ屋が親友の恋人への思慕を胸に活躍する・・・。」
プロローグで62才になった村野が回想するという出だしである。ここで既に親友は亡くなり、妻と残った娘のことも出てくる。これは、種明かしがちょっと早すぎるような気も・・・。
ところで大事件を題材に取ったものでは、高村薫さんの「レディジョーカー」がある。あれはグリコの脅迫事件を思い起こさせた。しかしこの本はずばり連続爆破魔<草加次郎>の事件となっている。私はよく知らないが、どのくらい事実に近いのだろうか?
高村さんと同じく女性の作家で、結構本格派で、主人公は男性という設定になっているが、主人公の性格が似ているような気がした。女性作家が描く理想の主人公はこうなるのかな?ただこの本では最後はハッピーエンドだ。最後に残されるミロという娘が主人公の本もあるらしい。
「組織に埋もれず」高杉良 講談社 1996 1600円 (7/1)
高杉のいわゆる経済小説はよく読むが、経済小説と言うよりサラリーマン小説という感じ。
どこかの企業で、個人が会社とのバランスをどのようにとって生きていくか・・・。この紹介の前の本「呪縛」はバブル崩壊の暗い話であったが、この本は出だしは明るい。
丸山は大学卒業後JTBに入社する。あちこちの支店で、失敗したり、新しい企画を出したりしながらやっていく。
その1つの企画は年金旅行。
退職教員の「海外旅行をしたい」という言葉から、年金旅行を考える。初めての企画で、ある上司は受け入れない。しかし数年後、別の上司は認め、クレディット会社や生保を説得して企画、大成功するという話が前半。
後半も百貨店共通商品券、そして日本を飛び出してトラベラーズチエックを発行する仕事をまとめる。
勢いがあり、うまくいく話には読者も「いいぞ!」と胸のすく思い。
上司次第でうまくいったりいかなかったりすることには、「うちの上司も・・・」と共感を覚えるだろう。
しかし、人は「よい上司に恵まれた」と思うことはどのくらいあるのであろう?
良い・・・20パーセント 普通・・・50パーセント 悪い・・・・30パーセント
というのはいかが?
いや、大半の人は「おれは、私はもっと恵まれていいはず・・・。上司がわからんちんなのだ・・・。」と思っているかも。
しかし、もし自分が上司という立場になったら・・・、と考えると、部下の立場だからこそ、「上司が・・・」と愚痴をこぼせるのでしょうね。
私も色んな経験をしてきましたよ。
しかし、50を越えて思うのは、もちろん上司に恵まれるのはうれしいことでしょうが、長い年月、最後は自分だと言うことですね。
何か自分らしい仕事をやっていれば、そのうち自分に力がついて満足いく結果となる。
満足とは別に出世ということではない。何か人のためになると信じることを一生懸命やる。一般の人が何がいい仕事かを教えてくれる。それを上司が認めるか、認めないかは上司の仕事。
そのような評価を当てにするより、自分自身の自分に対する評価や、一般の人の評価を大事にしたがいい。
上司の評価ばかり気にする人を「ひらめ」といいますね。そのような人も、いろいろいる上司に合わせるのも大変でしょうね。
さて、最後まで読んで、丸山のアイディアと行動力は魅力的でした。
時に会社のやり方に不満や挫折感を覚えても、自分が率先して新しい商品開発をしていく。
「会社がこうだから」「上司が分かってくれない」などと愚痴をこぼさず、自分が何かを作っていく。
会社は後からついていく。
さて、丸山が自分の部署で掲げた規範というのがある。
1 お互い「さん」づけで呼び合う。
2 個人の自主性を尊重する。
3 方法より結果を優先する。
4 勤務時間、場所は一律としない。
5 得意分野の専門性を磨く。
6 ビジョンをきちんと設定する。
7 安易な妥協はしない。
8 マーケッティング力を向上する。
9 素朴な疑問を持つ。
10 社外に目を向ける。
私たちにもあてはまるようなものではないか。
「呪縛」上、中、下 高杉良 角川文庫 1999 1500円×3冊 (6/19)
副題「金融腐食列島U」
本のキャッチフレーズより・・・「金融不祥事が明るみに出た大手都市銀行。逮捕への不安、上層部の葛藤・・・。自らの誇りを賭け、銀行の健全化と再生のために、ミドルたちは組織の呪縛にどう立ち向かったのか。日本経済の明日を問う問題作」
主人公はミドルの北野。その義父はこの銀行の最高顧問佐々木。佐々木は銀行が不祥事をするに至った元凶のような人物で、総会や的な会社や議員らとの関係を持つ。その義父を北野は追いつめていく立場になる。
しかし、最後はハッピーエンドというわけには行かない。最後は北野も左遷的な憂き目にもあう。
日本の「会社」という組織の中で、自分達が信じることをやっていくのは大変だ。北野は家庭などほったらかしの状態で、会社の再生に向けて、突き進む。しかし、これは男の美学のような気がしてならない。これだから、不祥事が起きるんじゃないの?
育児休暇をとるイギリス首相をみよ。いい悪いは別にして、ああいう時代にもなっている。
でも、大きな組織が揺すぶられ、既成の権力が崩壊する様はおもしろかった。
「理由」 宮部みゆき 毎日新聞社 1998 1800円 (6/4)
「家」をめぐって事件が起き、そこに登場する人々の家族や家の問題が明らかになってくる。
舞台は東京の高層マンション。人々がうらやむようなマンションで4人が殺される。その理由が明らかになるにつれ、豪華高層マンションの1室に関わる人々の、どろどろした生活や人間関係が見えてくる。
あか抜けた豪華高層マンションにいても、インターネット時代になっても、人間関係や家族関係というのは、希薄になってはいけないものなんでしょうね。
「レディ・ジョーカー」高村薫 毎日新聞社 1997 1700円×2 (5/4)
高村さんは男性的な作風で、本格的なミステリーを書いています。この本は上下2巻。細部にわたって書き込んだものですが、気のせく私は細部は読み飛ばしますが・・・。
レディ・ジョーカーとは障害を持つ娘のこと。競馬をするヨウちゃんの娘。競馬仲間の5人が、ビール会社を脅迫して大金を取ることを計画する。グリコの事件などを思い起こす。
最初は就職差別に端を発する会社への脅迫事件だったものが、最後は政界、株の世界、総会屋、検察、ジャーナリストを交えた疑獄事件の様相になる。大派閥の領袖まで登場する。
まったく闇の世界。
実は私は学生時代に新聞記者なんていいな〜、と密かにあこがれていた。
しかし、ジャーナリストはよほどの信念と闘志が無くてはやれない。朝日新聞の記者が散弾銃で殺され、13年になる。
闇の世界の動きは私のような人間の想像もつかないものがあるだろう。この小説の中でも、事件を政治家がつぶそうとし、検察までも動けなくする。それを追おうとする人間は抹殺される。こわいな〜。
この本の魅力は主人公の合田警部補や、義兄の地検検事加納、そして数人の新聞記者達である。最後は、合田と義兄の加納の感情も浮かび上がってくる。
また、ビール会社社長の城山も事件に揺れ動く様が魅力的に描かれている。
この本では、組織の中での個人の非情や非力にむなしさを味わいながらも、使命感や悪を憎む心に突き動かされる男達が描かれている。
また、高村の心には、政治やマスコミ、警察や検察という、どうかすると組織を守るための大きな悪ともなりがちなものと、個人の心の平和、障害児レディに対するあたたかな気持ち、といった小さなことの幸せを対比して描いている。
レディジョーカーは捕まらないままで、読者としてカタルシスを味わうことはできないが、より大きな悪が少しずつ暴かれるという筋立てとなっている。この世の中は、インフルエンザのウィールスと同じで、悪は広くはびこり、蔓延し、病原菌は決して無くならない、しかしそれを追いつめる合田達に作者の思い入れを感じる。
「対談集 佐高信が行く」地の巻 佐高信 1998 ダイヤモンド社
19人との対談。上野千鶴子さんとの対談では・・・。
上野 なぜ男が「社畜」になれるかというと、生活者にならずにすんでいるからです。だれかに生活者である部分を100パーセント預けているからです。それから男が会社でがんばるのは、会社、家族、報酬のためだけではなくて、男の社会の中で男同士がねうちを認めあうためではないかと思います。権力ゲームとはそんなものでしょう。そういう社会に正式メンバーとして登録されていない女が「社畜」になる必要はまったくありません。
佐高 それは登録拒否ですね。未登録というよりも登録そのものをしようとは思わない。
上野 まず登録させてもらえないということと、自分のアイデンティティにとって同性同業の集団の中の評価が自己評価の100パーセントを占めているというようなことがないからです。女性ってもう少し生き方に多様性を持っていますから。
なるほど。男のうるわしき「和」は、こういうことか! 女は疎外感を感じるわけだ。 年をとると、この違和感がますます大きくなる。男同士でお互いの仕事を評価したり、助け合ったり、あるいは競い合ったりして、権力のピラミッドをささえたり、のぼろうとしたりする。そこに変なおんながよけいな口を挟むと迷惑なだけ。男同士手を組んで、暗黙のうちにはねとばす。しかし、女を決定機関に入れない職場の欠点は、いびつになり、セクハラまがいの体質になること。
毎日、男性にとって聞きたくないことばかり書くな〜。男性読者が逃げるよ〜。でも、ここに来る男性は、上の男とは違うんじゃない?
「逃亡」帚木蓬生(ははきぎほうせい)1997 新潮社 2300円 (2000/2/28)
「逃亡」を読み終わった。といっても私は残酷な場面はとばして読んでいるから、実際に読み切ったかどうかは疑わしい。感想は「非常に重かった。」
見開きから写す。
「故国が終戦と同時に憲兵に牙をむいた。日本のために諜報活動に明け暮れた報いが、「戦犯」の二文字だった。身分を隠し名を偽り、命からがら辿り着いた故国も、人身御供を求めて狂奔していた・・・。緊張感に満ちた展開と溢れる感動の二千枚。」
終戦直後からの主人公の逃亡生活。著者も私も終戦後に生まれた。いつもながらよくこれだけのことを調べたと思う。
詳しい内容は省く。
感想としては、戦争とは国と国とがすることが多いが、本質的には国の戦いというより、権力を持った者と、持たずに動かされる者の戦いなのではないだろうか。主人公は国によって戦争にかり出され、人を殺し、敗戦により国に追われる。「国はいつでも状況に応じて寝返る」と、憲兵の上官は言う。
しかし、主人公の古里である筑後地方の情景は美しく、そこで主人公を待つ妻のけなげさな姿もまたこの国の美しさだ。
敗戦でいっさいの責任を部下に押しつけ、自分はそしらぬ顔のトップの話が出てくる。これもまた、いつも繰り返される日本を引っ張る人の姿とそっくりだ。
著者は、主人公に地をはうようにして生き延びさせる。自分の犯した殺人の重みをかみしめながらも、一日でも生きながらえる。
戦争中も、また現代でも、人間のすることは本質的には同じかも知れない。
日本も、今後いつ貧しくなったり、他国に従属する状態になるかも知れない。その時は私たちも、主人公と同じように、頭を使って生きながらえなければならないのかもしれない。
作者の声が聞けます。
「素敵なホームページデザイン」 1996 グラフィック社 (2000/2/7)
この本を借りるのは2度目です。3850円という高い本です。図書館から借りるから読める。
全ページカラーで、美的な、おしゃれなサイトを紹介してある。ほとんどが外国のもの。見ていると、私のサイトもどうにかしなきゃという気持ちになる。でも、この本を1度読んだ後で、このサイトのデザインになったんです。いくらいい本を読んでも、その人のセンス次第と言うことですね。
読みすすむと、おしゃれなサイトとはこんな感じ。
色を余り使わない。あるいはそれなりのコンセプトで使う。色も選ばれた色。一口に赤と言ってもいろいろある。
1ページにぎっしり書きすぎない。程良い空間が必要。写真も編集してかっこよく。モノクロ、セピア色、モノクロに一カ所だけ色つけなど、
背景には、黒や赤などではっとするようなものも。また、白に絵や写真をうまく使うものも。
こんなにおしゃれなサイトを勉強して、なぜこのページがおしゃれにならないか?!
いかにもおばさんのサイトではないか?!
まあ、そのうち見ていて、はっとするようなおしゃれなサイトにしてみせる、と言いたいけれど、私あんまり決まりすぎたのってちょっと気恥ずかしいような・・・。あたたかみがね・・・、気取りすぎるのもね・・・。やはり、親しみもてるのがいいよね。できない訳じゃないんだよ。
「三たびの海峡」帚木蓬生(ははきぎほうせい)1992 新潮社(2000/1/23)
またしても帚木さんです。また?といわないで・・・。この本には感銘を受けました。わたしは怖い話はきらい。人が殴られる場面なんか見たくも聞きたくもない。
でも、この本は怖い場面はあってもぐいぐい引き込まれた。日本人がしたこと、というレベルでなく、状況では人間はこのようになる、ということが分かる。そして、アジアの各国とも仲良くしなくてはならない日本としては、それだからこそ、「過去のことは水に流して・・・」はいけないだろう。
本書は、筆者が「日本人が書いておくべき義務がある」物語として構想された。
釜山に住む実業家の河時根(ハーシ グン)は、日本に住む徐から手紙をもらう。日本の以前の炭坑の町の選挙戦に絡み、ボタ山が壊されようとしている。河は50年前のことを思い出す。忘れようと心から閉め出していた思い出を・・・。
そして大韓海峡を渡る。3度目の海峡だ。
半世紀前、徐は強制連行で日本に連れてこられた。17才だった。炭坑地N市で地獄のような扱いを受けてきた。ようやく脱走し、韓国に戻ったが、その時ひどい仕打ちをした山本三次が、いま市長になり、ボタ山を壊そうとしている。あの山には、共に働き、拷問や病気で死んだ者が眠っている。
展開は、こ河の回想の形で進んでいく。日本人女性千鶴、千鶴と河の息子などが登場する。
千鶴とは愛し合って一緒になりながら、日本でも韓国でも二人一緒に住むことはできない。それは、50年間の日本と韓国の関係に似ている。
河は日本にある種の懐かしさを持ちながら、日本で受けた仕打ちや、無念の思いで虫けらのように死んでいった同胞のことが脳裏に刻みついている。
物語の最後では河なりの結論が・・・。
50年たった今、日本人の韓国に対する気持ちは、世論調査では「良い関係」との答えが50パーセントを超えた。韓国ではどうなのだろう。
日本はあの当時のできごとを正式に省みることはあったのだろうか。
作者は「日本人が書いておくべき義務がある」といった。私は今までこのように詳しい話を知らなかった。福岡県の炭坑の町は私も縁がある。
作者はこの町を「産炭地は日本の近代化をささえた。そして戦時中は韓国から連れてこられた人々がここで働いた。」という。改めてこの土地が果たした役割が分かった。
さいごの、息子に宛てた手紙にこう書いている。「お前には、不幸な歴史を繰り返さないためにも、海峡を挟む二つの民族の優しい架け橋になって欲しいのです。」
作者は直木賞の候補になったことがある。直木賞に十分値するんじゃない?それとも、政治的に言いにくいことを言うと、文学賞って難しいのかな。
私の同級生だからじゃないけれど、本当にいい本を書く人です。
「安楽病棟」帚木蓬生(ははきぎほうせい)1999 新潮社(12/11)
皆さんそうだろうが、私もおもしろい本に出会うと同じ著者のものを続けて読む。帚木さんのがしばらく続きそうです。
それにしてもこの方は、私と同級生だというのに、戦争のことなど知っていて描写も詳しい。頭の吸収力や経験が違うのでしょうか?
最初にそれぞれのお年よりの紹介。皆、様々の経歴と老いや痴呆の症状を持っている。まわりの人との人間関係も色々だ。
私がこの本で困ったのは、登場人物の名前が最初は分からないこと。読み進むうちに分かるのだが、あれがこの人だというつながりが分かりにくい。(勝手なことを言ってすみませんね。わたしも物忘れが多くなって・・・)
主人公は城野という看護婦。正看で指導的な立場になるコースにいたのだが、ある看護婦の教えに影響を受け「痴呆老人病棟」勤務を希望する。
その教えとは「現場主義」
「手考足思」を看護の精神としてほしい。机の上ばかりでひねくりまわさず、患者のそばに駆けつけ、手で触れ、そして見守る。
「あなたたちには指導者になってもらわなければならないが、紙の上で計画を立てるだけでなく、すべてを知り尽くし苦しみとやりがいを味わった上で指導者になってほしい。」
優秀な城野看護婦は、香月医師から見込まれ、また、城野看護婦も先生をしたい、研究や報告の手伝いをする。
物語はずっと、患者の老人と熱心な看護婦とのふれあい、そして死が語られる。こんなによくしてもらえるならこんな老人病院で最後を終えるのもいいな、と感じられる。
しかし最後に、やっぱりこの作者はミステリー作家だったんだ、という結末になる。
痴呆と死。最近石原知事が、重度の障害がある人のことを、「あの人たちも人格があるんですか?」と発言したが、ここでは重い痴呆老人のことをテーマにして、人間の衰えと死について考えさせる。
私たちは自分に関係ない範囲では、「どんな痴呆になっても、障害があっても人として最後まで人間らしく扱われなければならない」と思う。しかし、ケアが経済的に労力的に限界に来たとき、どうなるのか。高額の医療費を使って見ていけるのか。どこまでみるのか。だからといって私だって乳母捨て山のようにはしてもらいたくない。
これから10年、20年後に、私たちが直面する問題である。作者は死の問題をまっすぐに直視しない私たちに問題提起をしている。
「臓器農場」 帚木蓬生(ははきぎほうせい) 新潮社
下の本と同じ著者の作品。1993年発行。
題名はおどろおどろしいが、内容は入りやすく一気に引き込まれる。。
看護婦になったばかりの規子が主人公。あこがれの聖礼病院という大病院に就職。看護婦として順調なスタートをする。
ある日、「無脳症児」という言葉を聞いたときから事件に巻き込まれる。淡い思いを抱いていた的場医師と、親友の優子は、疑惑を追っていき殺される。その病院で行われていたことは・・・。この著者のものはサスペンスタッチだから、つい夜遅くまで読んでしまった。。
藤野茂というケーブルカーの車掌が登場し、規子をささえ、助ける役回りになる。彼は知的障害があるが、好きな仕事をし、模型を作り人を楽しませる。一方、無脳症の赤ん坊は・・・。
生きているとは何かを考えさせる本。科学が進歩すれがどんなことも可能になる。そこに人の欲望が入り込むことの恐ろしさがある。科学や技術の進歩に目くらましされず、わたしたちが自分の頭で考えなければとんでもないところに連れて行かれる。
この著者のものを読んで思うのは、私は教師という仕事を選んで良かった、ということだ。この著作は医者だが、どちらも人、特に子供などに接する仕事だ。自分がこうしたら相手はうれしいだろう、良くなるだろう、と相手のことを考えて動くサービス業だ。自分の仕事が、相手の表情や向上によってはね返ってくる。教師として、この年になっても生徒と一緒にやれることはありがたいことだろう。
また、知的障害の生徒という、欲や権力にあまり縁がない人と関わることも、私にとって慰められるところだと思う。著者も、そういう視点から藤野茂を登場させているような気がする。
「閉鎖病棟」 帚木蓬生(ははきぎほうせい) 新潮社
(10、30)
著者はわたしの高校時代の同級生。当時、よくできる人とは知っていたが、学級が違うから話したことはない。この他に、ノーベル賞の内幕をミステリータッチで描いたもの(題は忘れた)などがある。直木賞の候補にあがり、いろんな賞をとっている。
ある精神病院が舞台。チュウさんを主人公に、いろんな過去を持った患者たち。事情があり、登校拒否ということで病院にくる,女の子をめぐり,殺人事件が起きる。
最初はあまり頭に入ってこなかったが,3分の1くらいから面白くなり,最後まで読ませた。この方は、精神科のお医者さんだが,そこでの経験から(?)、人間の深いところまで掘り下げ、最後もヒューマニティにあふれている。
私も、あるいは精神病と言われる人たちと接したことがあり,著者が言いたい(だろう)ことが少しは分かるような気がする。自分たちと違う人と決め付けるのでない,人としての同じ目線での書き方に共感した。
「死ぬのが怖くなくなる薬。」 井上ひさし 中央公論
とぼけたようなエッセイ集。この中の「ワープロは日本語を変えたか」では、ワープロのおかげで漢字が復活したそうな。
うちの生徒に、なぜパソコンで作文を打つのが好きか聞いたら、全員「すぐ漢字になって出てくるのがうれしい」と答えた。なるほど・・・。
私が、日本語が得意でもないのに、HPなんぞを作るのも漢字がすぐに出てくるおかげなんです。生徒も同じ気持ちなんだ。
「欲望産業」 高杉良 角川書店
消費者金融、いわゆるサラ金をテーマにした経済小説。クレジット会社の社長、大宮は、エリート意識の強い銀行マン。クレジット事業を急成長させた辣腕家だが、やりすぎで妬まれ会社を辞め、サラ金社長里村に請われて大手「富福」に入る。実際にあった話だそうだ。銀行、サラ金、政治家、官僚などが、金を巡る欲望産業の中でうごめく。
私がおもしろいのは、「富福」の古い体質ともーれつぶり、儲かるお金を私物化して勝手放題の社長、里村の腹心山岡の気持ちの悪いおべっかと服従、色仕掛けで社長を利用する女社員など。日本の古い体質そのものです。いや、古いどころか今もなおかな。男が考えすることって(女もか)どの世界も似たり寄ったりですね。いま、サラ金は全盛期です。
「鯛は頭から腐る」佐高信 光文社
サブテーマ「日本の社会に蔓延する無恥、無能、無責任」という。世相をばっさばっさと切る佐高さんの、これまた小気味よい一冊。この方は高校の先生をしていましたね。これだけ言ったら学校でもさぞ浮き上がって、管理職泣かせだったでしょう。
こんな文も。ダイアナは「野心をもったアダルトチルドレン」
えー!ダイアナ、いいじゃない、わたしもまだダイアナが生きていた頃、イギリスに行ったとき、チャールズと別居していた宮殿を訪問して、会いに行ったんですよ。もちろん会えなかったけどね・・・。なぜダイアナがだめなの、という方、佐高さんの言い分を聞いてね。
わたしの好みと合う部分と合わないところも。宮部みゆきさん○、宮本政於○、山口洋子○、藤堂志津子○は同じ。でも林真理子×らしい。
でも、政治、経済など、特に官僚や政治家にズバリものいうところはすごい。「週間金曜日」にも執筆していて、その本から、「買ってはいけない」がでて、ベストセラーになったけど、やはり、言いにくいことを誰かが言わなきゃ、日本はどうなるんだか。
原発も、安全ですなんて、大林監督が言っているけど、まさかバケツでやってるなんて、大林さん、今度の事故についてなんかいったら。そして、日本に蔓延しているトップの「無恥、無能、無責任」
そーだ、そーだ、なんてわたしは言いませんよ・・・。(言わないけれど、太文字で書いた)
「オリエント急行の旅」 櫻井寛 世界文化社
オリエント急行といえばアガサ クリスティーのミステリーを思い出す。世界一の豪華列車。この本は、半分がきれいな写真でできていて、まず写真に目を奪われる。それは著者が鉄道大好き人間で、鉄道を写すために写真を勉強したという人だから・・・。
もう一つ気に入った理由は、だんなと1ヶ月間イギリスを旅行したことを思い出すから。「プルマン」という列車はロンドンからバースを走るそうな。バースには2泊した。昔の温泉、衣装博物館、アンティークの店。と、思い出しました。
そのうち、乗ってみたいですね。豪華な部屋と、しゃれた食事、正装だって。仕事のことなどに悩ませられずに。定年後ですね。元気あるかな?
ミステリー小説
松本清張さんに始まり、時には洋物、最近は、内田さん、斉藤さんのものなど・・・。このごろは年のせいかややこしいものは苦手になりましたね。
なぜミステリーがすきなのか・・・。多分、悪は最後は捕まる、という筋書きに、スカッとするわけでしょうね。現実にはこうはいきませんから。
わたしはお嬢さん育ちで(???!または世間知らずともいう)世の中に、いろんな人、いい人も悪い人も、不幸な人も、人を落としいれようとする人もいる、などとはつゆしらず、人とトラブルたびに、びっくりしたり、落ち込んだりしていたんです。無知のおそろしさですね。
ようやくこのごろ、小説、特にミステリーを読むことで、世の中には裏も不幸も悪もあるということ、自分がいかに能天気で、そのことで人を不愉快にすることもある、ということがわかってきました。
そういう意味ではミステリー小説は世の中のことを教えてくれる教科書のようなものです。
最近シドニイ シェルダン物を読みましたが。大衆受けする筋書きでもあるけど、女性が何物にもとらわれずに、波乱万丈の人生を生きるという筋書きは、夢中にさせるものがありますね。
大衆受けするものは、軽さもあるだろうけど、何かその時代の人々の気持ちを先取りしたところもあるんじゃないか・・・。
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