リンリン こうちゃん
その3
作・佐竹弘子 編集・Lee
こうちゃんはダウン症の明るい男の子。
今回はこうちゃんのおにいちゃん「陽介くん」のお話です。障害がある子どもの兄弟姉妹の気持ちって・・・。
「Leeの特別支援教育」
「怒られてみたかった」
お子さんと1対1で、お子さんの目線で話していますか?障害を持つお子さんに、必要以上に過保護にしていませんか?
皓平3歳、お兄ちゃんの陽介が5歳。毎日、母の車で一緒に保育園に通っていた時のお話です。
ある日曜日、夕ご飯の片づけをしている時、台所には陽介と私の二人きりだった。
連日、テレビのニュースでは、中学生がバタフライナイフで友達や先生を刺したと報道されていた。
陽介:「お母さん、ぼくがバタフライナイフで、人を刺したら、何人死ぬの?」
母:「バタフライナイフって知っているの?」
陽介:「知ってるよ。刺すと刃が引っ込むおもちゃ、隆ちゃん持ってるもん!」
…返す言葉もない。
私の頭の中は「陽介=バタフライナイフ=殺人=刑務所」と巡り巡る。とりあえずドキドキしながらざっと片づけをすまし、二人でお風呂に入る。
母:「「バタフライナイフで刺した」って言ったら、お母さんなんて言うと思った?」
陽介:「お母さん、怒ると思った。ぼく、怒られてみたかった」
頭がガーーーーン!
私はその当時、しょっちゅう、怒っていた(その悪癖は今もってなおらないが…)。「早くしなさい」「遅いと置いていくよ」「そんなこと言うんじゃありません!!」などなど…。しかし、それは小言だった。陽介は1対1で向き合って、自分の目線でかまって欲しかったのだ。
その頃の皓平は歩き出して半年で危なっかしかった。言葉もあまり出ず自己表現も乏しかった。必要以上に皓平を赤ちゃんのように接していたことも事実だった。陽介が、今の皓平と同じ3歳の時には、何もかも自分でやらせていたのに…。
保育園でも保母さんに「皓平は『これとこれ、どっちがいい』と聞けば選べるよ。力がついてきたよ。親や保母が先回りしないで待って、自分でやる気持ちを育てていこう」と言われていた時期でもあった。
陽介:「お母さんは、いっつもいっつも、こうちゃん、こうちゃん!って言うけど、皓平は3歳なんだよ!皓平だってできるよ」
陽介は保育園での皓平を見ている。親のいない保育園の生活で、いかにして皓平の力を伸ばすか、保母さんと皓平が格闘していることを知っているのだ。
陽介:「皓平は保育園では一人で食べて、何でもできるんだよ…」
そういえば、今まで陽介には皓平のお兄ちゃんとして接してきたけれど、「5歳の陽介」として接したことはあるだろうか…。「3歳の皓平」として接したことはあるだろうか…。
朝、保育園の駐車場に着いても「じゃあね!」と言い、陽介は一人で走って行く。皓平と私はいっつも一緒。時にぐずればすぐに抱っこ。いや、ぐずる前に抱っこもしていたなぁ…。
けれど、陽介のクラスメート達は、親と手をつないで保育園に来て、じゃんけんをしてグルグルっと体を回してもらい、「いってらっしゃい!!」と別れの儀式をしている。陽介は淋しかったのだ。
あーでもない、こうでもないと考え、その晩、寝ることが大好きな私でさえ、眠れなかった。
翌日、夕べの話を保母さんにする。
この間、「陽介、お母さん、迎えに来たよ」と言うと、陽介は「ぼくのお母さんじゃない、皓平のお母さんだ」と言ったことがあったという。友達とのやりとりでも、自分の気持ちを抑えてがまんすることが多いらしい。
その陽介の言葉に驚いた保母さんは、意識して甘えさせたり、がまんさせないで自分の意見をストレートに言えるよう働きかけていてくれたとのこと。
反省が早く、立ち直りの早い私はこの教訓をバネに、皓平のお兄ちゃんとしてではなく、5歳児の陽介として扱うようになった。
すると陽介は自分の意見を言うようになり、車から降りる時に「抱っこ!」「抱っこ!」と甘えてくるようになった(笑)。しばらくの間、抱っこで2往復し玄関に下ろす日々が続いた。
でも男の子なんて「抱っこ」の時期は本当に短い。自転車の補助がとれる頃には、陽介は「抱っこ」なんて決して言わなくなっていた。
障害を持つ子が、必ずしも不憫なわけではない。また、その兄弟姉妹ががまんすることもない。
障害を持つ、障害を持たないに関係なく、その子、その子には個性があり、その子なりの発達がある。
必要以上に過保護になったり、障害を持つ子に手がかかるからと、その兄弟姉妹に目を向けないのはいけないなぁ…。短時間でも1対1で話すこと、それが重要だなぁ…。
平成14年1月末の週末、私は不覚にも風邪を引き熱で寝込んでしまった。しかし、頼みの父は職場の旅行、祖父母は留守だった。しかも、外は雨。リンリンに乗れず皓平はストレスがたまっていた。
午前中は、幸いなことに、天気が悪くサッカーの練習が中止になった陽介が遊んでくれていた。午後はどうしようと思案していたところ…
陽介:「こうちゃん、お母さんお熱で寝てるから、お昼寝しようね。お昼寝したらおやつ食べようね」と言い、なんと皓平のことを昼寝させてくれた。感動!!!!
陽介10歳、成長したものだ…。お母さんは口は悪いけれど、「ありがとう!」っていっつも思っているからね!そして陽介のことをいっつも応援しているよ!
期待
こうちゃんのお兄ちゃんの陽介は小学4年生。運動神経抜群で皓平の自慢のお兄ちゃん。そのお兄ちゃんが小学1年生の時の話です。
マラソン大会のために学校で練習が始まった。陽介は、親ばかだが運動神経がよく(誰に似たのか?きっと私!)、今まで誰にもかけっこで負けたことがなかった。だから当然、私はマラソン大会は1位だと思っていた。
学校の練習で、「今日は11位だった」、「今日は10位だった」と言う。てっきりふざけて走っているのだと思った。
マラソン当日の朝、「1位目指してがんばりな。途中で転んでも起きて走りな。お母さん応援に行くね」と(今思えば)プレッシャーをかけて送り出す。
マラソン会場は畑の中。正方形の畑を4区画回ってくるのでスタートとゴールが同じ場所になる。抜きつ抜かれつ、走って来る姿が見える。すると死にものくるいでゴールに飛びこんで来た。
「あ、陽介は6位だ!(ちょっとがっかり)」
でも、ハァハァしてあまりの苦しそうな姿にびっくり…。
練習でいつも1位にだった友真くんが、本番では2位になり泣いている。
すると陽介が「友真、泣くなよ。来年がんばればいいんだよ。俺なんか6位だよ」と励ましている。6位の陽介が悔しくないわけがない。それなのに2位の友達を励ましている。
結局、順番を気にしていたのは親だけだったのだ。子ども達は誰も精一杯がんばり、自分の力を出し切っている。そして苦しい中でも友達を理解し励ますことができる。
親が子に過剰な期待をしていたのだ。子どもにはその子独自の力がある。それを伸ばしてあげるのは親だが、過剰な期待でつぶしてはいけない。知らず知らずのうちに皓平と比べて、ハンディのない陽介に期待していたんだなぁ…。
実際に、陽介が大人になり、田舎では“医者さま”と“さま”までつけて呼ばれ尊敬されている医者などになってくれたら、親は安泰だ。けれど、陽介には陽介の生きる道がある。自分の好きなことを職業にして食べていくことは難しいが、自分で考え進んで行って欲しい。親はでしゃばらず、陰ながら見守り応援していこう!
後日談、小学4年生になった今年のマラソン大会。
朝、熱を測ると37.2度。「やれるよね!」と言いきってしまった母。
マラソン会場に行くと、陽介はおなかが痛くなり保健室に行っていた。しかし、おさまってきたのでマラソンをすると言う。
「無理しなくていいよ!」と一応、親らしく声かけはする。(心の中では弱いなぁ。根性出して走れ!!)
結局、がんばってがんばって6位だった。しかしその後、具合が悪くなり、早退してきた。本当に病気だった。母…まったく成長なし!!
そして昨日のこと。国語のテストを返されたとニコニコしながら見せる。
「無関心」を「むせきにん」と読みがなをふり、バツになった答案。
「俺ってお笑いのセンスなくない?」と…。お笑いか…、吉本か…。ま、何でもいいけど医者は無理だねぇ…。と人一倍、勝気な母は一人微笑む。
こうちゃんママからのメッセージ
このエッセイは、佐竹さん(仮名)の文章を、Leeが編集したものです。
今回は、著者の佐竹さんからのメッセージいただきました。ぜひお読み下さい!(こうちゃんのことは「その1」「その2」に書いています)
「みなさん、「リンリン こうちゃん」をお読みくださりありがとうございます。私は著者の佐竹ひろりんです。掲示板への心温まる書き込み、励ましや応援のメールなどをたくさんいただきました。本当にありがとうございます。
元気に明るく、そして毎日を楽しく生きている皓平の姿を知っていただければ幸いです。今回は、皓平の兄である陽介をテーマに書きました。迷いながらの子育てですが、最近は特に親育ちとでも言うのでしょうか?共に少しずつですが、親子で成長しているように思います。
Lee様のご好意で私のつたない文章をアレンジ編集していただき、HPにこのようなコーナーを作っていただきましたことを、大変うれしく思っております。
今後も、日頃の悩みや子育て親育てについて、そして天使の面だけではない悪ガキの皓平の多面性も連載していければと思っております。
この「リンリン こうちゃん」を読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。これからもよろしくごひいきに!」
2002年2月12日作成